2009年度、宣教への基本的な姿勢
山本 俊正牧師
この一年間、世界の子どもたちは、生きるための居場所を失い、虐待などの暴力の被害を受けている。国連、ユニセフの報告によると、この一年間に、1300万人の子供の命が奪われ、そのうちの800万人以上が、ワクチンで防げる8 0下痢や肺炎、マラリアで死亡している、という。また、報告によると、世界では未だに人口の56%の人が衛生的なトイレの設備にアクセスすることができず、28%の人たちが安全な飲み水を手に入れることができないでいる。世界で、経済格差のために、困難な状況にある人々は、ますます増え、日々の水にも事欠き、不衛生な環境や水による病気などで、たくさんの子どもたちが命を落としている。
この一年間の日本の状況はどうだっただろうか。日本では、ワーキングプアという言葉と実体を私たちは目のあたりにした。昨年の6月8日に東京の秋葉原で17人の死傷者を出した無差別通り魔事件が起きた。容疑者の25歳の男性は、犯行の前に、携帯サイトに次のような投稿をしている。「高校を出てから8年、負けっぱなしの人生。つまり、悪いのはおれなんだね。どうせ何をしても「努力不足」と言われる。それなら何もしないほうがいい」日本の派遣労働者は321万人にのぼり、その70%は不安定な登録型の派遣労働者と言われる。
昨年の7月に福岡県の北九州市で、餓死した52歳の男性の日記には、「腹減った、おにぎり食べたい。25日、米食っていない」と書き残こされていた。日本国内で飢えて死ぬ人の数は、この10年間で、867人に達している。
野宿労働者の支援を続けている湯浅誠さんは、その著書の中で、このような日本社会を、「一度雇用のネットからこぼれ落ちたが最後、どこにもひっかかることなく、ドン底まで落ち込んでしまう。だから「すべり台社会」と言う」と述べている。
イエスはその生涯、「最も小さき者」の一人として、「飢え、渇き、宿なく、裸で、病にたおれ、獄中にある人々」(マタイ25章)と共に歩まれた。そしてイエスはまさに、自ら「最も小さき者」である「罪人」として十字架で処刑された。イエスの福音は自らが当時差別の対象となっていた「最も小さい者」と同一化していたことを根拠にしている。
日本の「すべり台社会」に現存する差別や偏見を克服するための働き、また、「最も小さい者」とされた人々への癒しと、隣人としての奉仕の働きは教会宣教の根幹と言える。
教会の宣教とは伝道であると同時に、教会を含む社会の様々な問題への取り組みである。また、教会の宣教とは、教会の名においてなされる働きだけを意味しない。教会に連なる一人一人が匿名性をもって隣人や社会に仕える働きが含まれる。今年度も、教会の宣教のために共に祈り、共に仕えてゆきたい。
2009年度は以下の事柄を昨年に引き続き、宣教の課題とし、役員会及び教会員の皆様と相談しながら具体化したい。
1)発信する教会へ
一昨年度より開設した、教会のホームページが大変有効に機能している。より多くのたちにロゴス教会の礼拝や教会活動の紹介を含めた教会情報が発信されている。ホームページを見て、教会に足を運んでくれる人たちが増加している。また、クリスマス礼拝やCNCコンサートの開催に加えて、地域に教会の存在を更にアピールする機会を増やすなど地域社会との連携を強化したい。
2)共に祈り合う教会
祈りは私たちの信仰生活の基本となる。昨年同様、毎週日曜日の礼拝で行う共同の祈りに加えて、教会員の一人一人を覚えて、また友人、知人を覚えて祈る機会を増やしたい。教会員の祈りのネットワークを強化したい。
3)平和を作り出す教会へ
聖書は「平和を実現する人々は幸いである」(マタイ5:9)と私たちを平和の使徒として生きることに招いている。現在の日本の状況に対して、教会ができること、すべきことを模索しながら、平和を祈り、語り、行動する教会でありたい。
4)アジア、世界に連なる教会
ロゴス教会はキリストの体に連なる教会であると同時に、アジアや世界の教会に連なっている。アジアや世界が直面する痛み、困難、希望を覚え、共に祈り、また可能であれば課題を選択し、具体的な支援や取り組みを支えたい。
5)捧げる教会
教会の強さは、自らがどのくらい所有しているかではなく、どのくらい捧げているかによる。今年度も、教会及び一人一人に与えられた、神様からの豊かな賜物に感謝し、捧げること、仕えることを宣教の基本としたい。