4つの癒しのアイテム 

130日礼拝証言)

原 寿枝姉

ローマの信徒への手紙 11:3336(新p291

 おはようございます。

 ちょうど1年前の1月私の娘の成人式のお祝いの会を自宅で開いた時に「一人ひとり今年の目標を言いましょう」ということになって、私はその時に「漢検の2級を取る!」と言ってしまいました。6月に試験を受けて何とか合格することができました。その時久々に合格証書なるものを手にして、これは気分が良いナーと調子に乗ってしまって12月には数年前から興味のあったアロマテラピーの1級にも挑戦してこちらも取ることができました。

 皆さんは「いきなり自慢話からスタートかよ〜」と内心思っておられるかもしれませんがこれからお話する私の子供時代の今、思い返してみても冷や汗の出る想い出とアロマが結びつくものなのでお許し頂きたいと思います。

 私は幼児期から教会学校に通っていました。大阪の池田市にある「石橋教会」には当時かなり多くの子供たちが通っていましてクリスマスともなると「降誕劇」でかなり盛り上がっていました。今の私からは信じられないかもしれませんが小2くらいまで私はかなり引っ込み思案な子で心の奥のほうでは準主役級のマリアの役をやりたかったのに良い役はどんどん他の子たちに取られてしまい残った役が3人の博士のBの役でした。セリフはたったひと言、「さあ、この宝を持って幼子の所へ行こう!」というものでしたがナント本番で自分の番になった時、頭が真っ白になってしまってひと言も出なくなってしまったのです。私のセリフを聞いてからしゃべる子も気を遣ってすっと待ってくれていたおかげで何とも言えない恐ろしく長い空白の時間が流れたのを今でも覚えています。

 長い前フリでしたがこの時、博士Bの私が手に持っていたものが「乳香」でした。もちろん劇の小道具ですからただの箱でしたが、あれから40年の時を経てアロマの勉強中に「乳香」というものが「フランキンセンス」と呼ばれるアロマオイルのひとつでその効果が「心と身体の浄化作用があり皮膚の細胞を再生してくれる働きがある」ということを知りました。ちなみに博士Cの子が手にしていたのは「没薬」でこれも「ミルラ」と呼ばれ、こちらは「殺菌作用があり古代エジプトではミイラ作りに使用されたということです。

聖書の中には「香油」がよく出てきます。ヨハネによる福音書19:38(p 208)にもイエスを葬るために「没薬」と「沈香(じんこう)」が使われたとあります。この沈香は水に沈む木なのでこのような字を書くそうですが、有名なものには「伽羅(きゃら)」があり高級調度品に使われます。

他にもルカによる福音書23::56p 159)「香料と香油」、マタイによる福音書26:68(p 52)にも「ベタニアでイエスの頭に香油をかけた女の話」が記述されています。

「香り」というものは嗅覚で感知します。五感の中でも特殊な感覚で「動物」が生命維持するために欠かせないものです。においで食べ物を見つけたり敵を察知したり、赤ちゃんも視覚より嗅覚で母親の存在を確認すると言われています。人間はにおいの正体を知る前に瞬時に「快、不快」の反応を起こしますしある特定のにおいに関連する記憶も瞬時に甦ります。

例えば私が高2の頃にご飯もノドを通らないくらいの恋をしてちょうどその頃キンモクセイの香が漂っていましたので、今でも秋めいた街かどであの香りをかぐと何となく胸がキュンとしますし又、子供たちがまだ小学生だった頃PTA行事でミニ運動会をやった時マットをかついだ瞬間なぜか緊張してしまい、昔自分が小学生の頃に体育のテストでマット運動をやった時の記憶が鮮明に思い出せれ自分でも少し驚きました。

脳の中の「大脳辺縁系」は「生命維持」と「種族保存」に関する重要な中枢です。「自律神経系」と「内分泌機能(ホルモン調節)」を調節するところです。特に「扁桃体」は快、不快、喜び、恐怖と言った情動反応を起こす部位です。心地よい香りがここに働きかけることによってリラックスできるという特徴を生かして行う癒しの方法がアロマテラピーができたらしいナと思っています。

先ほど登場した「扁桃体」は私が18才の時から今も続けているインド発祥のYOGAの勉強にも登場します。YOGAでは深くゆったりとした呼吸を大切にします。逆から言うと人はイライラしたり怒っている時には呼吸が浅くなっています。基本の呼吸は4で吸って4で止めて8で吐くのが良いと言われています。一度みなさんで一緒にやってみたいと思います。

如何でしょうか?心がスッーと軽くなるような落ち着くような感じになりませんか?私はクリスマス・イヴ礼拝のオルガンのソロを弾く前にドキドキしたのでこの呼吸を数回行ったら心が落ち着きました。

最新の研究で深い呼吸を続けることで次の3つの効果をもたらすことが明らかになっています。

まず1点めは「扁桃体」に働きかけ心を穏やかにすること、そして2点めは血圧を下げ血栓の形成を防ぐ効果。さらに3点めには集中力を高める効果もあるということです。それを実証する実験についてお話します。

大学生を数十名集めて100マス計算をやってもらいます。第1回〜第7回まではだんだん慣れてタイムも正答率もUPしていくのに第8回からはだんだん疲れてきて成績が落ちて来ます。そのタイミングで先程の呼吸を何回か行って再度計算するとそれまでにないくらいの良い結果が出るそうです。

私の人生を振り返った時、関わった年数が多い順に申し上げますと40年以上の「音楽」、30年の「YOGA」そしてここ数年の「アロマ」という3つの癒しアイテムがあることに気付きます。

現代社会においてストレスなしの生活というのは多分、無理でしょう。ならばそのストレスをためこまないようにするスキルをいくつか持っていた方が、日常生活が楽に穏やかに過ごせると思います。

 更に4つめのアイテムとして私は「言葉」を挙げたいと思います。この場合の言葉はロゴス=神さまの言葉 そして人間同志の言葉もすべて含みます。人間同志の言葉は使い方を間違えると毒や剣にもなりますが上手に使えたならば人を安心させたり、人を再生する力をも持っていると思います。

私は単純な人間なので誰かに言われて嬉しかった言葉は、何度も反芻して明るい気持ちなります。たとえそれが「おせじ」であっても、そういう部分は特に超プラス思考なのですべて丸々受け留めます。大変なのは神さまの言葉です。もちろん多くのみことばによって心を強くしてもらえたり暗闇から解放してもらえたことも一度や二度ではありません。でも逆に自分に都合よく解釈してしまって曲げて理解しているのでは?と、不安なこともたくさんあります。

 昨年2月亡くなった私の父が遺してくれた聖書にはたくさんの書き込みがありました。

 生前、父とよく話し合ったのは「罪」と「信仰」についてでした。ここで父のチェックしていた聖書の一部分を読んでみたいと思います。ヤコブの手紙2:14p423)行いを欠く信仰は死んだもの、ローマの信徒への手紙3:28p277)人が義とされるのは律法の行いによるのでなく信仰によると考える、エフェソの信徒への手紙2:9(p353)救いは行いによるのではありません。

 このように聖書の書かれた背景や状況によって全く正反対のことが書いてあるのでどちらが本当なのか、又どちらかだけを信じることも危険なのか等話し合っていました。ただ山本三和人先生の『神への反抗』を何回も読み返しては「この本に救われた」とよく言っていました。

 紫垣さんもロゴス会報に書かれていましたが、この本の中に「私は祈る時ほど神から遠のきたいという衝動にかられることはない。」という箇所があり父の身近にいたクリスチャンからこういうことを言ってくれる人は一人もいませんでしたから、山本三和人先生の迫力あるまた勇気ある言葉の数々に大変勇気づけられたのだと思います。

 それは「努力しなくていい」というマイナスの方向でなく「努力して人間のレベルで成果が得られなくとも神さまから見たらそれでいい、そのままで赦されている」という前向きなとらえ方でいいのでは?と私自身もとらえています。

 さて私は去年でちょうどピアノ教師生活が30年になりました。毎日ピアノのレッスンに来る生徒さんたちは年が上になればなるほどレッスン時間を人生相談の時間にしょうと意気込んできます。極端な生徒は楽譜すら持ってくるのを忘れて話し出します。昔は少しはピアノも弾かせないと!と思っていましたが、ここ数年は年のせいか大らかになってきて相手の出方次第では今日100%セラピーでもいいか・・・と観念できるようになってきました。何しろ相手は人生の大切な岐路に立っていたり初めての大失恋をしたり、友人からの言葉でボロボロになっていたり真剣です。だから私も真剣に受けとめます。話を聞いてから私はこの頃よくこう言います。「色々つらいこともあるんだけど私の数少ない経験から言えることは人生に起こるすべての事柄はどれひとつ決してムダなことはないと思うよ。

むしろ一般的に見て「悪いできごと」と思われることの方が後から考えて「肥やし」になったナとか、あの事があったお陰でこの人の気持ちがめちゃめちゃ分かるナとか思うよ。」

 こう言われても失意のどん底にいる子はなかなかすぐに納得いかないこともあると思いますが、いつか思い出して「確かにそうだったナ〜」と思ってくれたらイイナ〜と思っています。こう言うと私が生徒さんの手助けばかりしてるみたいに聞こえますが、実は同じくらい、いやそれ以上にみんなから多くの宝物をもらっています。

 最近中野先生から頂いた『大正自由教育研究の軌跡』というご本を読ませて頂き、その中に「子供の中に光るものをみつけた時が一番嬉しい」と書かれてあって本当にそうだなぁと思いました。

 又「愛されたことのない人間は他者を愛することさえできない」ということも書かれてあって、正にうちの生徒さんで最近そのような告白をしてくれた人がいたので心にズシリと響きました。

 小学生のときから大人になった今までレッスンしてきた人ですが、家族からの言葉の暴力よってずっと傷ついてきたこと、そのせいで友達さえうまく作れなかった思春期のこと、友人に誘われて行った教会に初めて安らげる居場所を見つけられたこと、そして今心のリハビリをしながら、いつかは又家族を愛せるようになりたいと言ってくれました。「いつかは愛せるの?」と訊くと「はい。だって先生

聖書に『父と母を敬え』と書いてあるじゃないですか。」と逆に教えられるという嬉しくも情けないシーンもありました。この時の彼女はまさに光っていました。

 又彼女が弾き語りをしたいと持ってきた歌は先程父との会話でよく話題になったと申し上げた神様の愛のあり方をある意味示してくれるものでした。

  そのままでいい どれくらい 信じてるかな?

  そんなこというけど これしなかったら だめなんでしょ?

  ああならないと いけないんでしょ?

  何の役にも 立たなくなったら 見離すんでしょ?

  だって このままの私が 愛されるはずない

  だから むちうって 働いてる 疲れてるのに

  あなたのため 

だから 愛してるんでしょ ?

  でも 神様の愛は そんなんじゃない

  その荷物を ひとりで 抱えているから

  君を好きなんじゃない

  つらいことも 涙見せずに こらえてるから

  君を好きなんじゃない

  明るいから 強いから 笑ってるから 正しいから

   そんなことで そんなことで

   君のことを 好きなんじゃない

ただその 存在が 大切で嬉しい

   ただその 命が 何よりも いとしくて

いつでも そばにいたい

ありのままの 君が好きだよ

   たとえ 何も できなくても

   飾らないで せのびしないで

   そのままで 君を 愛しているよ

   ありのままで 従っておいて

必要な力 全て 与えるから

そのままの君に 私が 働いて

私の技を 行うから

私の栄光 あらわすから             「そのままで」 内藤 容子

 やっぱり 人間の目線で自分や他人を評価したり優劣をつけるような考え方は、神さまの前では全く意味の無いことだと彼女が歌うのを聞き乍ら改めて思いました。

 またつい先日は大学生の男の子が彼女にフラれた・・・とかなりへこんでやって来ました。その彼女から「なんか重い」とだけ言われてすべてにやる気が無くなってしまったと言うのです。30分程話を聞いてあげても全く元気にならなかったので、とにかく発表会もあるしピアノを弾こうよということにしました。

 最初から弾けたはずのメロディもガタガタ、左手もフニャフニャで心が傷つくとこんなにも音楽に出るのか・・・と思いました。けどそれでも一緒に気長に弾くうちにできなかったところがうまくできはじめて「うわー、やばい!オレ今ピアノに癒されてます。」と言いながら、タッチがしっかりしてきました。

 この場合のやばい(・・・)は「すごく楽しい」に訳せます。「すごくおいしい」「すごく幸せ」もすべて「やばい」のひと言で、若者たちはOKです。

 レッスンを終えて後からメールが来ました。「なんか元気出ました。ありがとうございました!!」という内容でした。ピアノで癒された彼と元気になったという彼からのことばで癒された私。やっぱり音楽もことばもすばらしい癒しアイテムだ!と痛感しました。 

今日の聖書、ローマの信徒への手紙11:33〜36(p 291)「すべてのものは神から出て神によって保たれ神に向かっているのです。」

 日々の生活の中で起こる様々なことで私は心が揺れたりジタバタしたり、神様から遠ざかりたくなったりしますが全部ひっくるめて神様は受け留め、認めて下さるのだと改めて感じます。

 とりとめのない話しかできませんでしたが、このような機会を与えて頂いたことに感謝して私の証言を終わりたいと思います。

 (祈り)

 天の父なる神さま 今日も健康を守られ愛するロゴス教会の皆さんと礼拝を守ることができましたことを心より感謝いたします。私の足らないところをすべてあなたの恵みで補って充たして下さい。

 病の床に折られる方、苦しみの中におられる方の上に特にあなたのお守りがございますように。

 この小さな祈りを主イエス・キリストの御名によって捧げます。 アーメン

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