個展をおえて
(「LOGOS No.24」1991.7 )
(個展会場で教会の方々と記念写真、中央が福富保子姉)
福富保子
はるけくも一筋の道あゆみきて神の給える八十路の生命
傘寿という言葉など他人ごとのように、思っておりましたのに、私にも八十路がめぐってまいりました。
そのお祝いにと、子や孫たちはじめ身近な人たちが、私が描きためてきた、油絵の個展を催してみてはどうかと、すすめてくれました。思いもかけないことでした。私は絵画の世界に興味をもちつづけてまいりましたものの、素人の拙ない絵ばかりで、とうてい多くの方々に鑑賞していただくほどの価値ある作品とは、思ってはおりませんでしたので、戸惑ってしまいました。しかし、家族一同のあたたかい申し出は身にしみてうれしく、提案に従うことにいたしました。
さて、そうなるとまず会場をどこにするかということが問題になりました。ひょっとしたら遠くからおいでに下さる方の足の便も考えなければなりませんので、駅ビル「そごう」の8階の展示室が、一番ふさわしいのではないかと、いうことになりました。しかし、そこを拝借するためには、少なくとも3ヶ月前に行わなれる抽選会に出かけて当選しなければなりません。希望者が多数であるために、一度や二度では当選するのはむづかしく、家族の者たちが何度も根気よくくれまして、今年の正月につに4月12日より14日までの3日間がわりあてられることになりました。それからというものは、作品を選び、額縁をととのえたり準備はなかなか大変でした。いよいよ4月12日の初日を迎えました。
早朝より一家総動員で、およそ30枚の4号より50号までの油絵をワゴン車に積み、「そごう」の裏口よりあわただしく8階まで運びこみ展示致しました。午前10時には早くも知人の佐藤かつ子様が、つづいて短歌会の先輩で88歳の井上花子様がかけつけて下さり、受付の役を3日間もご奉仕下さいました。
会場には次々と友人や知人其の他の方々が来て下さり、3日間にのべ800名の方々が、見て下さいました。遠くは水戸、岐阜、松本、千葉からも来てくださいました。よろこびと感謝の3日間でございました。思いがけなかったのは、第1日目に読売新聞社の女性記者が取材にこられ、翌13日の多摩版に紹介をしていただいたことでした。また見知らぬ老紳士が2回もおいで下さり、椿の絵をごらんになって「八十路なる個展に咲きし椿かな」の一句を下さいました。
さらに亡夫の茨城大学哲学科での教え子だった7名の方々が、はるばるおいで下さり記念の花を贈って下さいました。亡夫いまさばどんなによろこんだことかと胸にせまるおもいでございました。ロゴス教会からは山本先生はじめ多くの皆々様がお越し下さり、あたたかいご批評をいただくことができました喜びをかみしめております。