袖野長之進兄追悼
花井 寛
袖野さんとの出会いは50年も前に遡る。ロゴス英語学校の喫茶室(自習 室)で何度か顔を合わせ、その後山本三和人先生の授業の講義に感化されて教会の礼拝に参加するようになってからは割合頻繁に、袖野さんに会う機会ができた。
たまたまその頃、三和人先生と袖野さんや神宮さんたちが「神学研究会」を立ち上げるところだったので、誘われるままにわけもわからず参加することにした。月二回礼拝の後1時間半位の会を続けた。そこで使ったテキストが難しい英文のものだったので、その和訳のためにだけ時間を費やし、本文の意味するところがよく解らずに終わってしまったような気がする。ただその頃、三和人先生の礼拝説教や神学研究会での先生はじめ袖野さんたちのいろいろな話の中から私が感じたことは、キリスト教を信じるとか信じないとかに拘らず自分は「もう既にイエス様に依って救われているのだ」ということだった。心の中の自由を実感した。
会の後、殆ど毎回「実践神学」と称して袖野さん達の先導で目白駅付近の喫茶店を歩いたり、時には新宿で飲み食いしたりした。私には楽しみな時間だった。何故なら、私たち学生は無収入だったので、袖野さん、神宮さん、森村さんたち社会人で収入のある人たちがおごってくれたからである。
教会に関して袖野さんが言った言葉で忘れられないものがある。教会の運営に「智恵のある者は智恵を出せ。力のある者は力を出せ。智恵と力
のない者は金(かね)を出せ」。何度も聞かされた言葉だった。
袖野さんが天国で豊かな祝福を受けていることを確信する。