「日本聾話学校」の発祥地として
ーロゴスのルーツー
羽生小夜子
ロゴス教会創立100周年の記念日を迎えるに当たって、その歴史の史跡を尋ねてみましょう。
昭和15年(1940年)に発行された福音教会全体の機関紙「福音の使」に、P.S.メイヤー博士は「牛込福音教会は日本に建てられた最初の聾話学校のホームであったという珍しい特性を持っている」と記しておられます。 その発端は、明治学院神学部の教授で、長老派の宣教師として、その校内の館に居住しておられたA.K.ライシャワー師は、幼くして難聴の令嬢のために、その保育者を探しておられました。たまたま牛込福音教会専属の女教師として在任されておられたミス・クレーマは、幼稚園教師の資格を保持すると同時に、聾唖者のための読唇術をも会得しておられました。そこで早速、長老派と福音教会派のミッション代表者によって、聾唖児童のために牛込福音教会堂を開いて、仕事を始めることに決定したのです。
それで、大正9年(1920年)4月28日、2名の教師と10名の生徒で聾話学校は開校しました。校長は村上求馬氏(現在、郡山教会村上束牧師の父君)でした。翌年の春までに児童の数が非常に増加しましたので、1889年に建てられた教会堂の二階に二つの組別の部屋を付け加えられたとあります。
そして、1926年9月まで聾唖児童の教育はこの会堂で行われました。かくして、京王線沿線の桜上水に新しく校地を求めて移転しました。戦後久しくこの地で一層の発展を続けてきましたが、現在は町田市野津田町1942の小高い地点に美しい白壁の校舎を建てられ、学校法人「日本聾話学校」、創立者A.K.ライシャワー、L.F.クレーマ、校長には大島功氏を要して、多くの生徒を容し、日本唯一の教育法をもって聴覚に障害のある児童を育んでおられます。ロゴス会員の福島治子姉も多年に亘って教育者として協力されました。
私はここでペンを置きますが、ロゴス教会発展上における一駒として、この事を記す光栄を感謝し、八王子市におけるロゴス教会共々、神様の御導きと御授けを得て、いよいよ御栄を現されますよう切に祈るものでございます。