手作りの旅 (2)
糸川京子
(「LOGOS No.25」1991.9)
スウェーデンでは、この旅のメインだった、リンドヴレーン(『長くつ下のピッピ』の著者)に会うことができず、後ろ髪を引かれる思いでバルト海を渡った。
フィンランドでの宿泊先ファーム(農家)は、パンヤンネ湖のほとりにあり、畑と林と湖しか視界に入らない希望通りの田舎だった。ここで、空がどこまでもひろく、青いのを痛感する。
ファームの宿泊者を見ると、ドイツ人の三世代の家族、若いドイツ親子、ヘルシンキの街中に住む老夫婦、ヘルシンキ近郊からきたという、十代のような夫婦と赤ちゃんに、友人と私で計17人だった。
夕食時、ヘルシンキの老夫婦、特に81歳だという夫人から私達は質問ぜめにあった。日本の家はどのくらいのせまさか、東京の人口は、などなど。私達は部屋もとなり同士だから、食後もリビングルームで、日本から持参した資料を駆使して、ていねいに答えた。
夜の9時でも、まだ外はひるの間の明るさなので、私達は子どもたちに折り紙を教えてやったり、ヒゲの若いドイツ人がひくピアノに合わせて歌ったりして、楽しんだ。
ところが翌日の、部屋のドアを開けると、子供たちが折り紙をもっと教えてと待っているし、となりの老夫人は話しかけてくる。気をつけてみたら、他の人たちは、この老夫婦につかまらないよう、軽くあしらっているのがわかった。翌々日も、また質問ぜめ。この老夫人は、カーテンごしに外を見ていて、私達が部屋を出ると、さっと自分も出てくるのだ。
このようなふれあいを好む私だが、予定もあったので、私達もカーテンのすき間からながめ、老夫人が庭の右側に出ると、見つからないように左側から出たりした。たしか彼女は、家にいてもつまらないからファームですごすのだといっていた。
私は自分の老後を考えさせられた旅だった。