ロゴスへの手紙
橋本京子姉と24周年を祝う。
金子 欣一
開堂24周年記念のお写真、早速のご郵送、大変ありがとうございました。
改めてロゴスの歴史をふり返ってみますと、戦後間もない昭和22年、ミスクレーマーなどの支援により、伝道の手段の場として上高田の国産電気の倉庫を借りて、ロゴス英語学校を創立・開校し、「英語の授業を通して多くの若者たちにキリスト教を伝道・普及させる」という山本牧師の発想は、ある意味で、物事に対する考え方についてヒントを与えて下さったような気がしておりますし、今でも、なにかに行き詰まったようなことがあったりすると、「もし、山本牧師だったら・・・?」と考えてしまうほどですが、だからと言って、これまで必ずしも山本牧師と親しくお話をしたことはありませんでしたし、学校廃校問題で牧師から初めてお電話を頂いたときはびっくりしてしまったほどです。
なぜ山本牧師が廃校を決断されたのか、その辺りの事情は、貴兄(白築)もよくご存知だと思いますので省略させて頂きますけれども、山本牧師たちと新天地を探し求めて歩き回った結果、小比企の急斜面に新会堂を建設することになり、二年間という歳月を経て、新会堂が落成。落成式も終って、いよいよ最初の礼拝が始まるというその日の朝、教会横の麦畑の中の向こうから歩いて来られた老夫婦に新教会の場所を尋ねられた時のその感動。(実はその老夫婦が福富先生ご夫妻だったのですが・・・)小比企での想い出は尽きることがありません。
先日の週報をお送り頂いて、あれから既に24年も経っていたことを改めて知り、感無量でした。
私がロゴス教会と関わりを持つようになりましたのは、あの目白の高台に新校舎を建設した昭和25年のことですが、ふと、ロゴスのことを想うとき、なぜか今でも、木造二階建ての廊下に塗られた防腐剤のあの匂いが漂ってくるような感じがしてきてしまいますけれども、私にとって、それほど当時のあの匂いが私の鼻孔に染み付いてしまって入るということなのかも知れません。
ここ数年前より体調不良の状態が続いており、特に足の方の具合があまり芳しくないような状況が続いておりますので、八王子まで出かけられるかどうか分かりませんが、我が家には、義父が作ってくれた「小さな聖壇」(私は「ロゴス教会立石分教会」と思っておりますが・・・)に向かって毎朝、礼拝することだけは欠かしたことはありませんのでご理解頂ければと思っております。
そんなことから、団地住民からの推挙で務めておりました自治会の会長職も辞任し、体調回復に努めてきましたけれども、一向に回復の兆しもなく、この際思い切って、人間ドックで徹底的に体全体を検査してもらうため、来月の中旬に検査を受けることに致しましたが、不安な気持ちを拭うことはできませんが、「ヨブ記のヨブのような、『わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ』と言った心境」とでも言ったらよいでしょうか。
なんとなくまとまりのない手紙になってしまいましたが、惜しむらくは、ドッグ入りの結果、体調不良の原因さえ分かれば、新しい道が開けてくるのではないかと期待しておりますし、また、そうなることを願っております。
最後に皆様の益々のご活躍とご健康を願いつつ、ペンを置かせて戴きます。