ことばの世界〈花〉のことば (4)
(「LOGOS No.20」1991.3)
栗原 敦(実践女子大学教授)
花吹雪に包まれて立つ人ありき
偲びつつ眠る花の中山
(野田はや夫)
開花の頂点がそのまま散り際にひきつがれる桜の花吹雪。風に舞うその姿は、狂おしくも決して重く沈み込むものではない。だからこそ、どこかしら人の世の執着を離れた夢幻の世界も感じさせるのだ。幻は現実と融け合いやさしく包んでくれるようだ。
作者は、再びめぐり来た花の季節に、今はこの世にない人のかつての思い出の姿を、夢中の幻のごとくに偲んでいるのだといってよい。「亡き人をまぼろしに見し陶俑に春くれ方の光ほのけし」も同様の思い。「紅梅か桃かは知らね亡き人の日記より落ちし萎えし花びら」が同じ人に連なる歌かどうか定かではないが、「臨終の床にて欲りし香なりき金木犀の花さかりなり」もあって、読む者の心の中ではひとつに結ばれて来るようだ。
野田はや夫、千葉県生まれ。本名小倉豊文(1899〜)、前回の”西の猪”。九歳で母を失い、高等科卒業後母校の給仕と校長の家の書生をして自活。文学で身を立てようと志すが、兵役を忌避して師範学校に進学。小、中、高の教師を勤めたのち、学者として出直す決意を固め広島文理大に入学。歴史、仏教史学者としての研究・教育の傍ら、宮沢賢治の研究にいそしむ。
『「雨ニモマケズ手帳」新考』などがある。自らは「手習草紙」と謙遜するが、七十年の歌歴における作品万余から二百首を選んで、「多生の緑に連なる」故山路葉子とその父故林浦乃舎との合同歌集『藪柑子』を昭和62年に刊行。広島で原爆のため妻を失ったが、その被災手記『絶後の記録』は現在中公文庫に収録されている。