ことばの世界のことば(5)

(「LOGOS No.21」1991.4)

栗原 敦(実践女子大学教授)

ネーブルの樹の下にたずんでいると

白い花々が烈しく匂い
獅子座の首星が大きくまたゝいた
つめたい若者のように呼応して

(茨木のり子)

 自然の、見事なまでの「呼応」が、「地と天のふしぎな意志の交歓」を思わせ、「たばしる戦慄の美しさ!」(第三連)を迫った。「防空頭巾を/かぶ」り、『ネーブルの樹の下にたずん」だ「少女」は、敗戦を19歳で迎える茨木のり子(1926〜)自身。「天と地」の「交歓」から「のけ者にされ」て感じた「深い妬み」に衝き動かされて「対話の習性はあの夜幕を切った。」(終連)というが、それでは「対話」とは何だろうか。

 それは「妬み」の背後に隠された発見に関わっている。すなわち、「あれほど深い妬みはそののちも訪れない」というほどの「妬み」も自覚とは、あるべき「呼応」「交歓」の状態から、自分がどれほど遠く隔てられているかの発見そのものに他ならなかったのである。あるべき姿を求め、なぜ隔てられているかを問うことこそが「対話」だった。

 第一詩集『対話』(1955)につづく『見えない配達夫』(1958)に収録された「わたしが一番きれいだったとき」には、「わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達が沢山死んだ/工場で 海で 名もない島で/わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった」として、若者や少女の「生」の発見を完全なまでに疎外したものの何であるかを語っている。茨木のり子の「自分の感受性」を自ら支え通してゆく「対話」による長い闘いはここに発していたのだった。

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