ことばの世界―〈光〉と〈風〉のことば(3)
(「LOGOSNo.32」1992.5)
栗原敦(実践女子大学教授)
光あれと ねがうとき
光はここにあった!
鳥はすべてふたたび私の空にかえり
花はふたたび野にみちる
(立原道造)
宿 の結核のため、勤務先の石本建築事務所を退職した立原道造(1914〜1939)は、死の予感のゆえにこそ「二度生きねばならない」とする決意から、その死を半年ほど後にひかえた昭和13年9月、北方へと旅立った。
この4行に始まる草稿詩篇「アダジオ」は、その旅のうち、ちょうど一ヶ月の盛岡滞在中に残されたもののひとつと考えられている。400字詰めの原稿用紙の裏に上から順に「北」と、「アダジオ」、「風詩」の3篇が記されていた。
「北」にあるごとく、季節は秋ということになろうか。「空のあちらを」「渡ってゐる」「秋の歌」を思い、「山が 日に日に 色をかへはじめる」
「私の行けないあのあたりで」「枝に疲れをやすめてゐる」「小鳥らが」「告げ」る「まだもっと向うに何かがある」に心惹かれる。限られた生命を永遠のものに重ねるかのように「風詩」でも「丘の南のちひさい家で/私は生きてゐた!/花のやうに
星のやうに 光のなかで/歌のやうに」と歌われていた。
作品の残りの2行は「私はなほこの気層にとどまることを好む/空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ」と結ばれるが、自覚された「二度」の「生」をよく現している。
アダジオ(adajio)は、緩徐曲。残された「盛岡ノート」の記述を拠り所に、ベートーベンの「皇帝」のアダジオが意識されているという意見がある。
なお、滞在地の盛岡市愛宕山にこの詩を刻んだ碑が建てられている。