ことばの世界のことば (1)

栗原 敦・実践女子大学教授

(「LOGOS No.17」1990.11)

散りし花びらは土にかへれど
咲きにし花は天にかへるなり

 第6回高村光太郎賞受賞の詩人高橋元吉(1893〜1965)は、一般には若き日の萩原朔太郎の心の友として知られているのかもしれない。
 旧制前橋中学を卒業後、父の命により実家の書店煥乎堂の店員として兄を助けて働いた。
多くの同級生たちが上級学校へ進学、出郷する中ででの書店員生活には重い心もつきまとったに違いないが、白樺派周辺の文学者たちとの交流と信仰によって、職業人・詩人の生涯を貫いたと言ってよい。
 大正5年、朔太郎のいわゆるドストエフスキーの「握った手の感覚」による「新生」体験前後には、年若い友人元吉にあてた思想と信仰をめぐる多くの手紙が残されている。
 心の内部をうちあけるに足る数少ない友人の一人だったことを良く物語っていよう。

 3歳の時母に「死に別れ」「婆や」に育てられたが、父の再婚で翌年「婆や」に「生き別れた」。

大正11年妻菊枝が長女、長男を残して死去。13年五十嵐愛子と再婚、二男二女を得るが、次男耶律、三男良蔵は昭和5年、7年に相次いで夭折した。

 「花びら」と「花」に、生きとし生けるもののかたちといのちの象徴を見てとることはたやすかろう。文語体をもった二行の短詩だが、「散りし」の「し」(過去の助動詞「き」の活用形)、「咲きにし」のそれ以前の花の姿を示す「にし」(完了の「ぬ」の活用形+「し」)が、「土」と「天」の対比照応とともに無駄ひとつない見事さを示している。

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