ことばの世界〈鳥〉のことば(1)
(「LOGOS No.23」1991.6)
栗原 敦(実践女子大学教授)
あき空を はとが とぶ、
それでよい
それで いいのだ
(八木重吉)
「あき空」「はと」「とぶ」「それでよい」、何と単純な語彙だろう。八木重吉(1898〜1927)の第一詩集『秋の瞳』(1925)に収められた「鳩が飛ぶ」だ。ただ単に鳩の飛ぶ姿を見つめている、それだけのことに見えて、なぜ心に深く刻まれるのか。
口語自由律俳句の種田山頭火の句、「分け入っても分け入っても青い山」、「あるけばきんぼうげすわればきんぼうけ」も思い浮かぶ。後の句、「ある」くのも「すわ」るのもヒト。移動し、坐る、目の高さも変わる。道のべに咲き並び、野でヒトの身を包むのは「きんぼうけ」。自然とヒトが隔てられているから融合が求められ、それゆえにこそ奥深く隠されてあった元来の合一が見出されるのだ。俳句にとっての自然や季の大きさもそこに関わっているのかもしれない。
ひるがえって重吉詩の場合、発話者は佇み、動かない。「はとが とぶ」のは、やはり動かない、けれど深く果てしない「あき空」。動くもの、包むものこそ違え「鳩が飛ぶ」においても、「空」という自然と「はと」という自然、そしてヒトと自然、重なりあうそれらの隔てと融合が、冒頭での認知、ひきつづく第二行での肯定的確認、そして最終行におけるその深い了解(納得)という構造を通じて、見つめる者に捉えられていたのだった。
29歳の若さで結核のため亡くなったが、没後に第二詩集『貧しき信徒』(1928)が刊行された。筑摩書房版三巻の全集の他、それを元にしたちくま文庫版の簡便な第一巻全集がる。