ことばの世界のことば(2)

(「LOGOS No.24」1991.8)

栗原 敦(実践女子大学教授)

「なぜ小鳥はなくか」
ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた
非常に高いところから落ちてくるものに
感動したのだ
そしてまた夢のなかへ「次の行」へ
ぼくは入っていった

(田村隆一)

 「星野君のヒント」(『言葉のない世界』)後半部だが、「なぜ小鳥はなくか」は、作品の冒頭で引用されていた一行の繰り返し。日系イギリス人でAP通信の記者の星野君は「アメリカの雑誌などに掲載されている面白い詩を、」「よく教えてくれた」と田村隆一(1923〜)は言うが、この引用詩もプレス・クラブのバーで詩人に星野君が教えてくれたものだ。

 「なぜ人間は歩くのか これが次の行だ」
 問いは、しばしば人に深淵をのぞみ見させ、ひるがえっては、「なぜ」という問いそのものをもたらした高みを仰ぎ見させることさえある。

 ここでは「闇のなか、」「夢」のなかにある「ぼく」のめざめだから、播くことも、刈ることもない「小鳥」の声が、人の世の営みの闇の深さを思い知らせたということだったのかもしれない。とはいえ、詩人は「感動」に立ちつくすのではない。「感動」につき動かされるように「また夢のなかへ『次の行』へ」入って行く。「なぜ人間は歩くのか」と。

 「歩く」が「人間」の〈生の喩であるならば、詩人はふたたび〈生〉の混沌のあくなき追求の側へ踏み込もうとしていると言っていい。それゆえにこそ、この作品を巻頭に置いた詩集『言葉のない世界』は、表題作に到ってついに「邪悪」なまでに激烈な、闘争的な力としての「鳥」の姿を表現することになるのだった。

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