ことばの世界〈鳥〉のことば(4)
(「LOGOS No.26」1991.10)
栗原 敦(実践女子大学教授)
雁の声を聞いた
雁の渡ってゆく声は
あの涯のない宇宙の涯の深さと
おんなじだ
(村上昭夫)
渡ってゆく雁、詩人はそれを見たのではない。けれど、「雁の渡ってゆく声」の「深さ」に呼びさまされた心の視野に、「涯のない宇宙の涯」に向かって「一心に渡ってゆく」その姿が、まざまざと写し出されていたということなのだ。
肺結核の療養生活の果て、若くして亡くなった村上昭夫(1927〜1968)は、この詩「雁の声」(『動物哀歌』)の第二連、第三連で、自分の「治らない病気」に言及し、不治の病いの「深さ」が「あの宇宙の深さと/おんなじだ」と記している。だからこそ「雁の声を聞こえるのだ」と言い、「雁の渡ってゆく姿を」「見」、「雁のゆきつく先のところを」「知」る資格が自分にはあるとした確信の表明は、私たちに限りない寂しさと悲傷とを感じさせずにはいない。
しかし詩人は、この悲傷を無限の先にまで突き抜け、寂しさが寂しさ自身を癒す地点にまで近づこうとする。
第四連末尾「雁をそこまで行って抱けるのは/私よりはかないのだと思う」とは、自らを打ち棄てることなく、悲傷の果てに生と死の境界を超えてなお生きることの意味の確認を示していた。
「鶴」でも、明るく凡庸に思われていたイメージが「思い違い」だったことを述べて、「だがそのいずれの時も鶴は/それらの認識のはるかな外を/羽もたわわに折れそうになりながら飛んでいたのだ/降りることもふりむくことも/引返すこともならない永劫に荒れる吹雪のなかを」と描いていたのだった。