ことばの世界 〈鳥〉のことば (5)

(「LOGOS No.27」1991.11)

栗原 敦(実践女子大学教授)

しかし 勇気を出して戦うべきだ
ついに帰らざる雁の行方についてではなく
たたかうことに疲れた人間の悲しみについて

(清水 昶)

もうひとつの雁の詩、千家元麿の「雁」(『自分は見た』大7刊所収)について、あの良く知られた「一列になって飛んで行く」「みんなが黙って、心でいたはり合ひ助け合って飛んで行く」のを「暖かい一団の心」と感じとって詩人が見上げている作品について記そうと思っていた。だが、清水昶(1940〜)の最新刊『さ迷える日本人』(思潮社刊)の表題作をめぐって書くことにする。

 雁行の言葉通り、列になり編隊を組み渡って行く雁の姿は、戦争前までは日本のどこでも見られたものと言う。多くの土地でそれが見られなくなって久しい。その意味では戦後史とは雁の見えなくなった時間のことでもある。そこを歩んで来た五十歳の詩人に、戦後史の行きついた現在はどう見えているのか。

 恐らくは、自らも「帰巣者」の一人だったという思いと、帰るべき故郷の喪失の思いとの間に「弧絶したひとり」が浮かんでいるばかりだ。長い間見られなかった「雁が見事な扇状にひろがって飛んでいたという」「故郷の老母からの電話」にも、詩人は「本能を狂わせて」「都市の運河のほとりをさ迷」う「故郷を失った鳥たち」を思わずにはいられない。なぜなら「帰るべき家には戸惑いばかりの団欒があり/家族はそれぞれ個室に閉じこもって/お互いの胸の羽ばたきを/雁のように扇状にひらくことがない」からだ。

 とはいえ、「一団の心」のように「詩を歌えない」そのような場所にこそ、歌うべき逆説的根拠がある。詩人の「勇気」の源はそこにあった。

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