ことばの世界〈鳥〉のことば(6)

(「LOGOS No.28」1991.12)

栗原 敦(実践女子大学教授)


一日の終わりを
鳥たちは
沈黙してしまうことだけで示す
詩は一日中ひらいている死の目ゆめの目

      (北村太郎)

 鳥たちの沈黙をよそに、詩人は人間の沈黙の奥にめざめていることばを見つめつづけねばならない。抑圧され、強いられた沈黙に抗うことが詩人のつとめだから。

 20世紀は戦争と革命の世紀だと言ったのは誰だったか。解放としての〈自由〉の色あせてしまった革命。そして絶えざる戦い。「大戦争が終って三十五年/小戦争がいくつあったか知っているかい/ それらの死者が何人になるか知ってるかい/二千万人だよ/個人が二千万、固有名詞が二千万だ/つまり地球は出血しっぱなしだったんだよ/おまえ/そんなことも知らないんだろ」
80年から81年にかけて「現代詩手帖」に連載した連作詩『悪の花』(81・10刊)の第4篇で北村太郎(1922〜)はこう書いていた。

 敗戦を22歳で迎えた北村は、戦争の時代を「『悪時代』とか詩の空白時代とかまたは、思想のブランク時代」などと言って済ませてしまうわけにはいかなかった。その時間を生きた自分たち、その時間の中で去った死者たちへの思いは、現代を生きて沈黙を強いられ、殺される固有のいのちにも同じように向けられるべきものだった。

 掲げた4行は『悪の花』第1篇の最終連だったが、それにしてもその第二連、もはやそうは歌えないとして「むろん/そんな時代は終わってしまったのだ」と顧みられていた「一日は鳥たちの声で始まる/そのように/詩が始まったら何とすてきだろう」の、しかし何というなつかしさ、そして対照される現代の何というけわしさ!

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