私にとってのモーツアルト



 楠田 和子

  今年のモーツアルト生誕250年の年ももう間もなく終わろうとしている。

 世界中で様々な催しが行われ、テレビでは毎日その生涯と音楽とを紹介し、コンサートもアマチュアプロともその
特集を組んでいる。毎日モーツアルトの音楽が耳に入らない日はないほど街にあふれ
ている。今年が250回目
のバースデイというわけだが、毎年誕生日の1月27日に瞳美音というグループ
の主催でコンサートが開かれて
いて、ここでモーツアルト一色の実に楽しいプログラムが組まれ、
オペラの中のアリアあり、合唱曲あり、管弦楽あり、
ソロの演奏あり、ソプラノのソロをいつも伊藤ちゑ
さんが歌っておられた。ちゑさんは12月10日のロゴスのCNC劇場
で出演してくださった方である。

ここ数年私はこのコンサートに出かけ、様々なモーツアルトを楽しんだ。 そもそもモーツアルトの音楽を1度も聴いた
ことのない人はいないだろうし、決して音楽そのものが好きでない人でもモーツアル
トの名前を1度や2度はきいているだろう。

 全くもしこの世にモーツアルトが生まれていなかったら・・・いくら他の作曲家の曲が多くあるとはいえ、我々は今のように、
こんなにも幸せな気持でいられただろうか。モーツアルトの音楽は人を実に豊
かな気分にさせ、この世にあることの喜びをし
みじみ実感させてくれるのだ。まさに癒しの音楽といわ
れる所以である。とにかく35歳までの間に600曲余りの曲を作り、
そのどれもが私たちに感動を与え
るのである。

私はずっとコーラスをやってきた。ちっとも声は良くないし音感はよくないし、耳は悪いし、なにも自慢できるものはないにも
かかわらずである。ただ歌が好きというだけで。 そして、歌うことの素晴らし
さを感じ取ることが出来た。 そこでモーツアルト
に何度も出会った。

 1昨年のコンサートで取り上げたのがグレゴリオ・アレグリ(1582−1652)作曲の「ミゼレーレ」という曲でこれは9声部の
合唱曲である。 これはモーツアルトの曲ではないが、モーツアルトは、1回
目のイタリア旅行の際システィーナ礼拝堂でこの
曲をきき、1度聴いただけで全て記憶し宿に帰って
5線紙に書き取ったという。

 この曲は秘曲として、礼拝堂から楽譜を持ち出したり、写譜したりする事は一切禁止されていたのである。この、門外不出の曲をモーツアルトの耳が正確に記憶し書き取ったという話が教皇の耳にはいり、咎められるどころか逆にその才能に感嘆したという。
そして数ヵ月後黄金拍車勲章まで授けられた
のである。 モーツアルト14歳のときのことである。 私たちが、今、この曲を歌
うことができるのは
モーツアルトの耳のお蔭なのである。

 以下、私が沢山の合唱曲を歌ってきた中でモーツアルトに出会い、もう思い出の彼方に行ってしまった曲もあるけれど、それらの曲を少し取り出してみようと思う。

私が今までで最も感動を覚えた曲といえばやはりレクイエムである。多くのレクイエム(死者のためのミサ曲)の中でもこれ
程の名曲は少ないだろう。この(K626)二短調のこの曲は彼の絶筆となった曲
で涙の日(ラくリモーサ)の8小節目で筆が止ま
り、続きは弟子のジェスマイヤーによって書かれたもの
だという。涙の日とは「罪ある人が裁かれるために、塵からよみがえる
その日こそ涙の日である」と
いう意味のなんとも言いようのない美しい曲である。私は今までに3回このレクイエムを歌う機会
あったが、最近では小規模ながら古楽器による伴奏のものであった。 後半はモーツアルトが病床についてから、弟子に
指示を与えてあって弟子が作曲したものとはいえモーツアルト自身がその骨格に
あたる部分を書いているので、こんなにも美
しい荘厳なものとなったのであろうと思う。

このレクイエムより少し前に書かれた合唱曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(K618)は合唱をする人なら必ず知っている曲で、
よくアンコールなどでも歌われる小曲だが、心洗われる美しい曲である、この
他にヴェスペレ(晩課)というカトリックの教会で
の夕方の礼拝に用いられる曲で規模的にはミサ曲に
匹敵する。

 その他、戴冠式ミサ(K317), ミサ・ブレヴィス(小ミサ曲) 雀のミサ(K220) など。ミサ曲はカトリック教会での礼拝に歌われ
るもので
 キリエ(主よ、憐れみたまえ)グロリア(栄光)   クレド(我は信ず)   サンクトゥス(聖なるかな)    アニゥス・
ディ(神の子羊)
からなり、ラテン語で歌う。モーツアルトはこれ等教会音楽を真剣に神と向き合って作曲し、だからこそあくまでも荘厳で力強い美しい曲が書けたのだろうと思う。

モーツアルト像については本当に様々な伝説があり、私などが知っているのは3歳のときからの神童ぶりや故郷ザルツブル
グでのあまり喜ばしいとは云えない時代、プラハでの実にハッピーな時代、
晩年のウイーンでの時代、しかも35年の短かすぎ
る生涯のうち10年は旅をして過ごしていることぐら
いである。それも、私が30代くらいのときに読んだ書簡集によるものが多い。

ただ私がとても幸せだと思えることは、ザルツブルグやウイーン、又チェコのプラハでもモーツアルトゆかりの記念館や生家
などを訪れ、ピアノ(クラビーア)やヴァイオリン、その他ゆかりの多くの楽器を
見ることが出来たこと、そしてモーツアルトの手
書きのスコアなどや髪の毛に至るまで貴重な品々を見
ることが出来たことである。

更に私にとっての大きな喜びはモーツアルトの合唱曲を心を込めて歌えるということの他に、多くの曲を書いたモーツアルト
がその小品の癒しの得られる曲もさることながら、私が観て、聴いて楽しむ
ことのできるのはオペラである。オペラのなかの
音楽こそが実に実に楽しいのである。全くモーツアル
トは人を幸せにする天才なのだとつくづく思う。そしてモーツアルトもいつ
もオペラを書きたくていたらし
い。全く、モーツアルトのことを書き出したらキリがない。私はその1部分でもモーツアルトに触れる
こと
が出来て本当に幸せだと感じるのである。                         (06.12.10記)

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