「死を讃美してはならない」
-2006.12.31証言要旨-
眞野 範一(ロゴス教会責任役員)
この一年間、様々な出来事がありました。京都・清水寺が選んだ「今年の漢字」は「命」でした。
いじめによる自殺、その責任を取っての校長先生の自殺、親の子殺し、子の親殺し、飲酒運転による交通事故死、エレベーターやガス器具の不具合による事故死、等々「命」が大変粗末に扱われた事件が目立った一年でした。しかし、桁違いに多くの命が粗末に扱われる出来事は「戦争」でしょう。
今年は、小泉首相が安倍首相に交代した年でもあります。小泉前首相は在任中毎年靖国神社を参拝し、任期最後の今年は8月15日に靖国神社に参拝すると言う公約を実行しました。小泉首相はなぜ「靖国神社参拝」にあれほどこだわるのか?中国・韓国との首脳会談もできない原因になっており、首相経験者たちも国益を考えて取りやめるよう進言している。にもかかわらず、頑固に参拝を続ける小泉首相の言動は、私には理解できない事でした。丁度その8月15日に、東大安田講堂で「南原繁記念シンポジウム」があり、シンポジストの一人・高橋哲也氏が「靖国神社は追悼施設ではなく顕彰施設である」と強調しておられるのを聞き、その後、高橋氏の著書、「靖国問題」(ちくま新書)、「国家と犠牲」(NHKブックス)、「戦後責任論」(講談社学術文庫)などを読みました。私が日本の近現代史に如何に無知であるかを思い知らされました。学んだことの一端をお話しします。
靖国神社は明治2年に、明治維新の官軍兵士の戦死者を祀る東京招魂社として創建された。更に、西南戦争(明治10年)の後、明治12年に靖国神社と社号を変え、別格官幣大社に格付けされた。
その時の明治天皇の祭文を高橋哲也氏の訳した現代文で紹介します。
『明治維新より今日まで、天皇が内外の国の暴虐なる敵たちを懲らしめ、反抗するものたちを服従させてきた際に、お前たちが私心なき忠誠心を持って、家を捨て身を投げ捨てて名誉の戦死を遂げた「大き高き勲功」によってこそ「大皇国」を統治することができるのだ。今後お前たちを永遠に「怠ることなく」祭祀することにしよう。』
この祭文が靖国神社創建の趣旨であり、現在もそのまま引き継がれています。例えば、太平洋戦争後、韓国や台湾の遺族、日本のクリスチャンの遺族が靖国神社に英霊として祀られている合祀を取り下げたいと申し出ても、靖国神社の池田権宮司は「天皇の意志により戦死者の合祀は行われたのであり、遺族の意志にかかわりなく行われたのであるから抹消できない。」(昭和52年)と拒否しています。
その後、明治27〜28年の日清戦争・明治28年の台湾征討を経て、天皇が祭主となっての盛大な「招魂式」「臨時大祭」が営まれるようになった。明治37〜38年の日露戦争・昭和12〜15年の日中戦争、昭和16〜20年の太平洋戦争を経て、「靖国の英霊=護国の神」として祀られているのは、実に2,466,532柱 (平成16年10月17日現在)にのぼっています。
「戦後政治の総決算」を唱えて登場した中曽根康弘首相は、昭和60年に戦後初めて首相として靖国神社に公式参拝し、靖国問題が国内外で大きな問題になりました。その際に、「米国にはアーリントンがあり、ソ連にも、あるいは外国に行っても無名戦士の墓があるなど、国のために倒れた人に対して国民が感謝をささげる場所がある。これは当然のことであり、さもなくして、だれが国に命をささげるか」。つまり、靖国神社は戦死者を護国の神とあがめることによって、戦死の危険性の高い兵士となる若者を、国が募集しやすくするための施設であることを語っている。小泉首相の靖国参拝もイラク派兵に伴って、死者が出ることを予想しての参拝だったのではないかと勘ぐりたくなる。
さて、戦前のキリスト教界はどのように対応したのか?日本統治下の朝鮮では、「神社参拝」を総督府に強制され、「神社参拝拒否運動」が起こった。日本基督教会大会議長である富田満牧師は、昭和13年に朝鮮を訪ね、朝鮮のキリスト者を以下のように説得している。
「諸君の殉教精神は立派である。しかし、わが政府は基督教を捨て神道に改宗せよと迫ったか、その実を示してもらいたい。国家は国家の祭祀を国民としての諸君に要求したに過ぎない。・・・明治大帝が万代におよぶ大御心をもって世界に類なき宗教の自由を賦与せられたものをみだりにさえぎるは冒涜に値する」。この説得に応じ、一部のキリスト教会では「神社参拝決議」が行われた。しかし、「神社参拝拒否運動」は続けられ、投獄された朝鮮のキリスト者は2000人余り、50人が獄死した。
この富田満牧師が統理となって、プロテスタント34派が合同して、昭和15年に日本基督教団が結成されたのである。更に、『日本基督教新報』は昭和19年4月に、下記のような記事を掲載している。
「基督教は血の意義を最も深く自覚した宗教である。殆ど唯一と云うていいかも知れない。即ちキリストの血こそ救拯の根源であるからである。・・・・・キリストの血に潔められた日本キリスト者が、護国の英霊の血に深く心打たれるのは血の精神的意義に共通のものがあるからである。・・・・・靖国の英霊を安んじる道は敵殲滅の一途あるのみである。」 このような雰囲気・状況の中で、山本三和人先生は「戦死」を美化することに断固反対し、特高警察監視の元で「死は人間にとって拒否し、戦うべきものである」と説教し続けられたのである。(LOGOS No.53、中野光先生の『「人物事典」に描かれた山本三和人牧師』を参照してください)。山本三和人先生の信仰の素晴らしさをあらためて畏敬し、そのような三和人先生の説教を聞き、直接先生の謦咳に接することができた事の恵みを感謝します。
本日の礼拝聖句として選びました出エジプト記 第20章3節の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」は、山本先生が繰り返し強調された「人神思想の恐ろしさ」の聖書的根拠であり、コリントの信徒への手紙二 第4章7節の「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」は「戦死を美化してはならない」、「命」は神様から与えられたものであることの聖書的根拠です。
本日は高橋哲也氏の著書に教えられたことの一端を紹介し「死を讃美してはならない」ことを学びました。これは日本の国家神道、天皇制など特殊な問題ではなく古今東西を問わず「戦争と戦死」に必然的に伴う普遍的な課題であることを高橋氏は論じています。皆様に読んで考えてもらいたい本として紹介します。