自己愛について

村田 美奈子(04.11「LOGOSNo.1」)

 山本三和人先生の文学的神奉仕8章の「偽善の信仰生活に関連して、私は何十年も前に読んで心を動かされたフランスのモラリスト*ラ・ロシュフローの著書道徳的反省録の中の「涙」と題する一節を思い出しました。
それは次のようなものです:「人々の悲しみの中には、様々な偽善が隠されている。或る悲しみの中では我々の大切な人の死を嘆いていると称しながら・・・我々はその人が我々に対して持っていた好意を名残り惜しく思うのである。それ故に死んだ者は、ただ生きている者のためだけに流される涙のお裾分けを頂く光栄に浴するのである・・・」。
      
 私は葬式等で悲しんでいる人は、情け深い人だと思っていましたから、この考えに意表を衝かれました。
一方、山本先生はこう述べておられます:「私達は、他の何者よりも自分を愛しています。真実の意味では自分しか愛し得ない事は、私達が罪人であることの証です」。私達はこの様な恥ずかしい現実を知ると絶望的な思いに駆られます。しかし次に述べられた「この現実を確認することから私達の信仰生活が始まります」という先生のお言葉によって希望の光を与えられたように思いました。


(*モラリスト:人間性の諸々の傾向及び習慣を特に探求する作家ラルッス辞典)

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