ロゴス英語学校のころ
名島 精二
(「LOGOS No.09」1990.1.7より)
「LOGOS」に拙文を載せてくださるのお話を頂き感謝いたします。目白時代の思い出がよぎります。青年会のこと、クワイアーのこと、ミス・クレーマーのことなど、書きたいことが山ほどあります。もしかすると一冊の本になるくらいあるのでは、と思うほどです。(もっとも読んでくださる方がおられるかどうかは別にして)
「ロゴスマンスリー」「ちり」の編集のお手伝いをしていたころ、夏休み近くから夢中になったクリスマスの準備、空軍のチャペルにコーラス奉仕に行った時、チャプレン主催のパーティで「ウエルカム ロゴス クワイアー」と書かれた大きなケーキが出たこと、サージャント・ギルバーという名の黒人下士官やルテナン・ルーカスという美人黒人婦人士官のことなど、昨晩はロゴスにまつわる夢をみていました。
ロゴスの受付にいると、学校の用件以外でいろいろな人が現れます。ドヤ街の住人、刑務所つとめを終えた凶悪な人相の男など、「牧師さんに会わせろ」と言ってやってくるのです。でも、山本先生は一度も彼らを拒まれたことはありませんでした。必ず話を聞かれて、いくらかお金を渡しておられました。
礼拝中にも、わざとゴソゴソ新聞をひろげたり、周囲をすごい目つきで睨みまわしながら、礼拝の終るのを待って、嘘八百を並べ立てて先生からお金をもらっていく連中もいました。
そのころ教団から教会荒しについての通達がよくありましたが、先生はそのような教団のやり方に反対しておられました。「教会が彼らの出入りを締め出したら、いっ受け入れてたいどこでくれるだろうか。教会とは人畜無害の行儀の良い者だけの所なのだろうか。世間ではクリスチャン自身そのようにうぬぼれ、誤解している点もあるようだが、そのような立派な人々は教会に来る必要はないと思う」と言われたことがあります。
教養満ち溢れた会衆が、上品に礼拝を守っているような所にしかキリストはおいでにならないのでしょうか。
私がいま籍を置いている教会にも、パリサイ的なエリートクリスチャン感覚の人がいて、仏式の葬儀に出席しても、焼香だけは拒否すると得々として語り、酒・煙草はもちろん、もっての他の邪道であると極言して他者を裁く方もおいでになります。
先生とご一緒だったころの先生のお話の中で、いつまでも心に残っているお言葉を最後に書かせていただきます。
「おそろしい過去のある人、世をすね憎んだ気持ちの人、ボロをまとい蔑まれている人、このような人たちが教会の門を叩いたら、私は喜んで迎え入れよう。なぜならキリストはそのような姿をしてわれわれのところへお出でになると思うからだ」
今年も間もなくクリスマスを迎えます。どうぞよいクリスマスを。またロゴス教会に伺いたく存じます。