忘れ得ぬ山本俊正先生の証言

中野 光(05.11.13)

 「ロゴス」(No.4.05.1.2)におさめられている先生の証言「最も小さき者との出会い」を私は忘れることができません。
 その中で、先生は受洗される前にインドネシアに10ヶ月間滞在され、そのうち8ヶ月をセレベス島のマナード(メナド)で過ごされたことを語られました。
 「マナード周辺は第二次大戦中、日本の落下傘部隊が駐留していたところで、年配の人たちの中には日本の軍歌を覚えている人が多くいました。私の下手な歌の後に日本の軍歌の合唱が続くことにおどろかされました。・・・」
 メナドに日本海軍の落下傘部隊が降、下しその地を占領したのは太平洋戦争の緒戦の頃でした。そのことに軍国少年だった私たちは心から拍手をおくったのでした。私はその司令官だった堀内豊秋大佐に海軍兵学校できびしい海軍体操を教えられました。ただ、堀内大佐は心優しい軍人で生徒たちからの信頼あつき人格者でした。不幸なことに堀内大佐は戦後B級戦犯として現地メナドで処刑(死刑)され、私たちは心を痛めました。
 メナドは私の尊敬する教育学者、大田尭先生(元日本教育学会会長)が一兵卒として漂流の末、現地住民に助けられ、戦後の転生の出発点となったところでもありました。そのメナドが山本先生の「キリスト教との最初の出会いだった」とは、私には印象的でした。
 いま改めて先生の証言「最も小さき者との出会い」の記録を拝読しますと、その内容のゆたかさに改めて深い感銘をおぼえます。マタイによる福音書第25章をひきあいに出され「最も小さき者」とは「現在の私たちにとって誰を意味するのでしょうか」と問いかけられ、私たちが日本の日常生活の中でアジア・世界においてもっとも弱い人と「平和」をわかちあっているのだろうかと言っておられます。

 そのような山本俊正先生に出会うことができ、今後も先生から学ぶ機会を与えてくださることをこのうえない幸せ、と思っております。


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