主は信じ仰ぎこい願うものを離しはしない

北海道阿寒町  名取善子

(「ロゴス宣教双書」1996年)

 山本牧師が、「神への反抗」を出版された頃、私は日曜日の礼拝を楽しみにして目白へかよった。少し暗い講壇のキリストの額を背にされて、牧師の原稿用紙を繰る光景がまざまざと甦ってくる。

 それまでにおぼろげに理解していたのとは全然異なる聖書解釈は私を楽しませ、おおいに満足させるものだった。やがて60年安保を経て、学窓を離れ、気分は学生のまま社会人となり3年、結婚した。

 天に栄光、地に平和が成就するには何が必要なのか。
ロゴス漬けになっている自分の考えがおかしいとは思ったが、生きていくのに失ってはいけないものが養われたし、主は私をいつも覚えていてくださった。信じて仰ぎこい願うものを離すことはなくわたしの精神世界を支配した。

 目白の古い会堂に集まった人たち、窓の外の竹塀に彩る緑の葉のうつろい、懐かしいオルガンの調べ。

 子どもを育てている時代は、私がキリストを信じているという表明をするたび、けげんな顔をされたものだ。キリスト教に対する定着したイメージは、なかなかとりさられるものではないという思いを強くした。

 私たち親子5人は、1982年の夏、東京を後にして北海道に移住した。車を40分程度走って日曜礼拝を守り、「地の果てまで福音をのべ伝えよ」といった御言葉はもっともっと深く、広く浸透しなければと私の胸から離れない。

 夫は高校時代の教会の不快感から、キリストの名を聞くのもいやそうにしている。然し、私以上に、人に優しく、無理をせず、神が私を生きさせて必要としていると確信しているとみられる。実際言葉にもだすので、隣人、世界の人に、動植物に寄せる思いは、私の思いを遥かにこえているので、教会に誘うことはさけている。信仰の足りない私の礼拝出席を黙認してくれていることをただ感謝している。

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