一本の電話

名取 善子(江別市)

6月中頃、久しぶりに京都亀岡に住む、友人に電話をした。4月のはじめに旭川から滝川までの52キロを歩いて平和行進に参加したことを話した。その感想のように「サンチャゴ(星の道)へ行こう」と願ったりの答えが返ってきた。

9月になれば行けるけど、計画はあなたに任せることになってもよければ」と、電話を切った。スペインまで出かける巡礼の道を歩くには、年を取ると難易度は高くなるので70歳になるまでには実現したいと思っていた。しかし一人で出かけるところまでは考えていなかった。渡りの船は早めにやって来たことになる。

Kはネットを使って資料を集めて、最低必要な情報を知らせてくれた。ヤコブの墓を終着点とする巡礼の道、フランスから出発すれば900キロにもなろう、1000年の歴史を持つ。日本の熊古道が世界遺産に登録されて日が浅いが、このカミーノ(魂の路)は世界の遺産登録されて久しい。スペインは二人とも初めての地だ。

99日チャマルティン駅から列車でレオンへ、大聖堂を見て翌日、列車でルーゴへバスでサリアへ。そこを起点に11日から10日間かけて星の道の最後の111キロを歩く、二人合わせて131歳。サリアからめでたく歩いてカテドラルまでたどりつけたら、マドリッドに戻ってプラド美術館を見て帰ろうとあらすじが出来た。

関空から出るカタール航空を使ってドーハ空港での待ち合わせ時間が長いが、マドリッドに着く切符も取れてホッとした。うれしいことに知人の友人が、その友人藤井寺出身のFさんを紹介してくれた。Fさんもカミーノの経験者で、スペイン人のご主人とマドリッドに暮らしているという。親切なメールは私にも転送されてくる。具体的なことが詳しくわかり始めた。もう半分は成就したようなものだと、しきれない感謝をした。それぞれ行きたいものと願っていた夢が突然実現することになり、お互いに出かける前からかなりの喜びにひたった。

世界中から来る人たち。普通には、1日20キロから30キロを歩いて、早めに休み、朝は早く歩き始めるというのが、ほとんどで、スポーツ感覚で歩く人が多く、北欧やイギリス人、オランダの人は日光浴も目的にしているようだった。

ひょうたんと帆立貝が歩く人のシンボルになっている。リタイヤ組が夫婦で歩いているのが多い。日本から品川のK夫妻に会った。一期一会とはいえ、一人旅が二人となりまたひとりにと、若人たちは出会いを求めているようにも見えた。カミーノでの人のつながりは神様の気分のままのようだ。植物の植生は北海道に類似していた。

途中歩くのが無理になったらバスでサンチャゴで待つと約束も成立。Kは私と話して行くと決めた時点で、一人でも決めていて、私も同じだった。歩き始めると私が大幅に遅れて、その日の宿に着くパターンだった。必要なときに必要な人に出会いながら、一日に11キロから17キロも歩けた。

貯金にあらず貯日が出来て最後の頃は至ってのんびりと一緒に最終地点へ。歩きとおした証明書を発行してもらい大聖堂で礼拝に出席の後、フェステイラという港町へバスを使って一泊旅行が出来た。カミーノ友達となった日本から一人旅のSさんに教えてもらい同道したのだ。ここはヤコブの遺体が上陸した場所で、カミーノの〇地点といわれている所。入り江の雰囲気が長崎平戸のあたりに似ていることに、私は新たな感概をおぼえるのだった。海のかなたはアメリカ東海岸。灯台近くのお土産にはめずらしい貝が売られていた。

再び、サンチャゴへとバスを待つとき、何度か一緒に歩いたカナダ人のジュリーに出会った。「コングラチュレーション」と再会を喜んだ。三ヶ月の休暇中の彼女のカメラには私が収まっているし、うまくいけばメールも届くはずだ。印象に残った人たちが歓声を上げている光景も時々見られた。古い形の墓地をみせながらバスは白砂青松を行く。海岸線の水の澄んでいること、これが海の色かと美しさは、またまたこの地に住んだらと一瞬想像の世界へと。

サンチャゴで最後の夜、私たちは規模の大きな昔のセミナリオに泊まった。月の光をあびて鐘楼を囲む庭を眺めながら、ここに学び、悩んだであろう神学生は集団生活に慣れて、聖職への道を昇っていったことと、その昔へとまた思いが飛ぶのだった。日曜日大聖堂での礼拝のあと、再び来られないこの町に別れを告げる。マドリッドへの夜行列車を待つ間、雨が降った。10人に余る人々とのしばしのカミーノでの出会いが町並みとともに思い出される。

偶然にきめての巡礼は結果的に最適の季節にたいした雨にもあわず無事歩いたことになった。マドリッド空港へ出迎えてくださったFさんはオペラ駅近くのオステルへ送り届け、最後の朝もオペラ駅へ迎えに来て、空港で見送ってくださった。二人で難なく関空に降り立てた。感謝。 2008年.12 雲の碑

短歌

9月スペインガルシア地方へ巡礼の旅に出かけました。カソリックの伝統が息づくの感じました。

ガルシアの 大あじさいの 花ぶさは
シートボルトの名 思い出させて

ユーカリの 林に過ぎて 目に入るは
育ちし庭の むくげそめ色

いく年の 祈りつまれし 聖域に
立たずむ我は 恵みにあふる

聖職に つかむと思う 乙女らの
秘めたる決意 まなこに見ゆる 

地に平和 天に栄光 時こえて
唯祈りある 信徒の姿

外つ国の カテドラルに立ち ふりかえる
うつつの闇を 気づきて悔ゆる

謙遜に なれたと思う その時に
不遜なる我 そこに居るなり

ひざまづき 友と祈りて 謝しまつる
カミーノ歩く 不思議な力

大聖堂 ぬかづきていま ふり動く
ボタホメイロの 香につつまれ

天井の ボタホメイロを あやるつるは
一本のロープを 六人がもつ

聖やコブ 偶像化され 鎮座して
抱擁される 心地はいかに

手わたした 日本の九条 読んだ人
永遠の平和と 握手を求む

花嫁を 喜びにみちて かこむ人
眺むる我も ともに寿ほぐ

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