ロゴス教会は創立100周年を迎えました。

大柴 恒

(「LOGOS No.7」1989.11)

 日本基督教団ロゴス教会のあゆみをさかのぼりますと、今年1989年が100周年にあたります。
 ロゴス教会は、昨年、山本三和人牧師の伝道50周年の恩寵を感謝し、ロゴス教会の八王子開堂5周年を記念いたしました。都心から八王子小比企町に移転し、今日の時代に応えた教会の新しい創造と、主イエス・キリストを宣教し福音を語る道を開拓するために、ロゴスの交わりは熱くもえています。

 ロゴス教会の前身は、戦時中に日本の各派キリスト教会が合同した時の日本基督教団牛込矢来町教会ですが、この矢来町教会はこの時つまり1941年(昭和16年)に名称が変更したもので、それ以前は牛込矢来町25番地に設立された日本福音教会派の牛込福音伝道所から出発いたします。この牛込伝道所が当地に設立された年が、100年前の1889年(明治22年)に当たるのです。つぎにこのあゆみを図式にしてみますとこのようになります。

  1889  牛込福音伝道所 1889(明治22) → 牛込福音教会 → 

        日本基督教団牛込矢来町教会 1942(昭和16) →

        日本基督教団ロゴス教会 1947(昭和22) 目白 →

        → 日本基督教団ロゴス教会 1983(昭和58) 八王子小比企町 

  1989 (平成元年) 100周年  八王子小比企町

 ところで、1941年(昭和16年)6月の教会合同とともに名称が変わったロゴス教会の前身、牛込矢来町教会は、あの東京大空襲で焼失してしまいました。この失われた教会を興し、名前をロゴス教会と改めて新しい目白の地で宣教活動をはじめられたのが山本三和人牧師です。ですから、山本先生なくばロゴス100年のあゆみはありません。

 山本先生は、1938年(昭和13年)に千葉県の大原福音教会に着任し、伝道活動を開始されました。昨年が伝道50年に当たることは前にふれました。先生はそれまで目白福音教会に所属しながら神学校に学んでいたのです。伝道者として大原福音教会に赴任した1938年(昭和13年)から1941年(昭和16年)までの3年間は当教会の牧師として活動されましたが、この年(昭和16年)牛込福音教会(森田大喜牧師)に招聘され着任すると同時に教会は戦時体制の中にまきこまれ、前述のように同年6月24日、25日の教会合同創立総会で、34教派の合同、11部の3部(日本組合基督教会、日本基督同胞会、日本福音教会、基督教会、基督友会)の日本福音教会派の一教会としてくみ込まれて、名前も日本基督教団牛込矢来町教会と改名したのでした。

 山本先生はこの戦時中の苦難の時代に牧会の責務を果たされるのですが、やがて先生の身にも召集という赤紙がやって参ります。それは1943年(昭和18年)でした。

 山本先生が帰還されたのは、終戦の年1945年(昭和20年)の9月でした。東京は焼土と化し、先生の教会(牛込矢来町教会)もなくなっていました。先生は早速に教会の再興に力を注ぎます。敗戦の混乱期に先ず生きて行く術を講じなければなりません。先生は得意の英語力を生かし教会を建てるべく、目白に教会と併せて英語学校を設立したのです。 これが日本基督教団ロゴス教会と、戦後英語学校の先端をいったロゴス英語学校でした。山本先生は戦時中に焼失した矢来町教会を、ロゴス教会と名称を改めて復興したのです。

 豊島区目白でのロゴス教会の宣教活動はすさまじく、ロゴス英語学校に学ぶ学生をはじめ、多くの人々に福音は宣べ伝えられました。目白時代は1947年(昭和22年)から1983年(昭和58年)まで36年間になります。

 1983年(昭和58年)11月、ロゴス教会は八王子小比企町に新しく会堂を建て、開拓伝道の門を開きました。これが現在のロゴス教会です。そしてロゴス教会は、新しい時代に果たすべき福音のわざに燃えています。

 ロゴス教会100年のあゆみに感謝します。そして、第2世紀への伝道のわざに祝福あれ!

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