悪魔の誘惑に堕ちた教育者たち

紫垣喜紀

□福澤諭吉翁を百科事典で調べてみた。にわか勉強である。言うまでもなく慶應義塾大学の創始者。1835年(天保5年)110日、大阪にあった豊前国中津藩の蔵屋敷で生まれた。自分と同じ誕生日だと知って嬉しくなる。儒学者でもあった父、百助は下級武士の故に名をなすこともなく世を去った。2歳のとき父を失った諭吉は、その後21歳まで中津で過ごす。成長するにつれ封建制度の束縛に強い疑問を抱くようになる。「福翁自伝」には「門閥制度は親の敵でござる」とまで書いている。諭吉は中津から長崎に出て蘭学を学び、大阪に移って緒方洪庵の適塾に入門。自然科学の蘭書に親しんだ。

1858年(安政5年)、藩命により江戸築地鉄砲洲に蘭学塾を開く。これが慶應義塾大学の起源になった。いまNHKの大河ドラマ「天璋院篤姫」が放送されている。ドラマは間もなく、幕府の実権を握った大老、井伊直弼が尊皇攘夷派を弾圧する展開になる。この“安政の大獄”と同じ時代である。翌1859年、諭吉は外国人居留区となった横浜を訪れて衝撃を受けた。そこは完全な英語圏だった。それ以来、諭吉は英蘭辞典を頼りに英語を独習した。諭吉は“咸臨丸”で渡米する機会に恵まれ、幕末に三度欧米を訪れている。外遊の見聞と英米の原書を参考に「西洋事情」を著し、啓蒙思想家としての地位を固めた。

□維新前後の10年間、諭吉は攘夷派の刺客に狙われていた。本人は立身流居合の達人で剣の鍛錬は欠かさなかった。しかし、危険に遭っても剣を抜いたことはなく、ひたすら逃げたそうだ。この間は政治の局外に身を置いて、子弟の教育に専念したという。この沈潜を破って、名著「学問ノススメ」を世に問う。人口3000万人の時代に、発行部数が340万部という驚異的なベストセラーになった。「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」。生まれながらに貴賤上下の別はなく、学問を収めた者が貴人となる。諭吉は平等・公正な社会を構想した。一身の独立には学問が急務であると説いた。

□この明治期最大の啓蒙思想家、教育者を生んだ九州の故郷が揺れている。大分県教育界の腐敗が露見した。温泉地獄の煮えたぎる硫黄坊主のように“罪悪”

が噴出している。先生と呼ばれる人たちによる汚職事件。鼻を突く異臭を放つ。学校長が自分の息子や娘を教員に採用するよう県教委幹部に依頼した。幹部は点数の水増しを部下に指示する。謝礼として現金や商品券が送られる。点数の操作を実行した人物は、汚れ役こそ出世の登竜門だと捜査官に供述した。今年度の合格者41人のうち、県教委幹部の口利きのあった受験者が半数を占めていたという。多額の金が飛び交う裏口採用。教壇が金で売買されていた。

□この犯罪は組織ぐるみの匂いがする。県議、県教委幹部、教育委員、教職員組合が「採用枠」を分け合って利益を吸っていた疑いが強い。大分県教育委員会は「不正合格が確認できれば、教員の採用を取り消す」方針を決めた。記者会見した教育長は「毅然とした考えを示した」と力んでみせた。しかし、「不正が確認されれば」という前提は曲者である。過去の答案用紙はすべて廃棄されている。不正を証明する証拠資料など殆ど残されていないのだ。さらに新しい事実も明るみに出た。教員採用時だけではなく、校長や教頭の昇任試験でも金券の授受がなされていたという。闇の深さは底なしの様相を見せている。

□日銀券の「一万円札」には福澤諭吉翁の肖像が描かれている。福澤翁は「贈収賄」現場の第一目撃者なのだ。事もあろうに故郷の教育界で「賄賂のススメ」が実践されていた。天を仰いだに違いない。大分の教育関係者は自分たちの子弟を不正に教育界に送り込んでいた。これは職業の世襲化、階層の固定化、社会の門閥化に繋がる恐れはないだろうか。福澤翁は門閥を激しく憎み理想の社会を追求した。現代の教育者は歴史の針を逆に廻している。彼らは天に唾した。折しも来年度の教員採用試験が実施された。13倍の難関である。スポーツ紙が「今年は実力勝負!」と揶揄した。とても笑う気持になれなかった。

□歴史小説家、司馬遼太郎氏は「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を展開してきた。著書「この国のかたち」の中の一節を紹介したい。“明治国家は、十分に成功した国家といえる。その因の一つとして、汚職がほとんどなかったことをあげていい。政治家・官吏、あるいは教育者の汚職ほど社会に元気をうしなわせるものはないのである。入学や資格試験の合否にカネが動くとすれば、国民は自己が属する社会に対する敬意を失ってしまう。よき国家とはそのような億兆の敬意の上に成り立っている。汚職が悪だというのは、国民の士気(道徳的緊張)をうしなわせることにある”。この見解には共鳴できる。

□「明治国家の成功」には異論もあるかもしれない。しかし、これだけは確かだろう。明治の人々は新しい時代の曙を見た。志は高く、精神も浄かった。私欲を捨てて理想を追った。現代は対照的だ。平和ではあるが、経済の爛熟期を経て黄昏を迎えた。「資本主義は文化的退廃によって衰亡する」。経済学者シュンペターの言葉だったと思う。文化的退廃とは“人の魂の腐敗”である。人々は小さな私利私欲に走ろうとする。悪魔の罠に易々とはまってしまう。いまや日本社会は“重荷を載せて坂道を下る”荷車である。悪魔が跋扈する。「手を放せば楽になるぞ!」。車は重くとも悪魔の囁きは断固退けなければならない。  []

TOPへ