等しからざるを憂う
LOGOS No.114
紫垣 喜紀
■ドストエフスキーの大作「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。かつて幾度か挑戦してみたものの、第2部5編に出てくる「大審問官」の物語が難解にすぎて挫折を繰り返してきた。“ドストエフスキー文学の絶頂だ”といわれれば、わからず仕舞いで世を去るのもしゃくである。いま読んでいるのは東京外国語大学の学長、亀山郁夫氏が翻訳した新訳版。毎日出版文化賞も受賞した。平易な現代文と読書ガイドによって「大審問官」もわかったような気分にさせられる。ここをすぎると、読書のスピードが加速する。評判通りの名訳だと思う。
■この長編小説には、ロシア社会の荒んだ世相が赤裸々に描かれている。この中には、当時の社会に蔓延っていた“幼児虐待”のむごたらしい例が生々しく示される。カラマーゾフ3兄弟の真ん中の兄、シニカルなインテリのイワンは「罪のない子どもたちの苦しみと涙は何のためにあるのか」と問いかける。修道僧の弟、アリョーシャを相手に絶叫する。「自分は神を認める。神が世界を創ったことも認める。しかし、幼い受難者のいわれなき血の上に築かれた世界、神の創ったこの世界だけは容認できない」。イワンは激しく無神論を展開した。
■19世紀中頃のロシア。農奴解放のあとも、農民は借金に縛られて地主に隷属。都会に流れた者は最下層の労働者になった。一部の富裕層と圧倒的多数の貧困層で構成される“格差社会”であった。経済は資本主義へ移行。株式投資も始まった。拝金主義が横行、富裕層は金儲けに血眼になった。人心は荒廃していた。社会でも学校でも、家庭ですら、強い者が弱い者をいじめる風潮が蔓延した。元々、格差社会とは、金持ち(強者)が貧乏人(弱者)を搾取する(いじめる)構図に特徴がある。いじめは何の咎もない幼児にまで及んだのである。
■現代日本は世界2位の経済大国だといわれる。政府・日銀によれば、2002年2月から記録的な好景気が続いているのだそうだ。一時 “いざなみ景気”と命名する話が持ち上がったが、さすがに立ち消えになった。国民の多くは減給と税負担と物価高に窮乏感を強めている。フリー百科事典“ウイキペディア”にこんな記事があった。「2002年から約4年半の間に、資本家は所得を25兆円増やした。サラリーマン層の所得は逆に4兆円減っている。」これが事実なら、リストラの果実として、ごく一部の階層だけが利益を享受していたことになる。
■新聞や雑誌には、耳障りの悪い語彙が並ぶ。「勝ち組」「負け組」「ワーキング・プアー」「インターネット・カフェ難民」「非正規雇用」「サービス残業」「名ばかり管理職」「格差社会」。社会から笑顔が消えていく。自ら命を絶つ人の数は9年連続で3万人を超えている。硫化水素による自殺がはやる。死刑になりたいから人を殺したという若者まで出てきた。社会でも学校でも弱い者いじめが跡を絶たない。幼児虐待のニュースも目につく。2006年度、児童相談所に寄せられた虐待の情報は3万7000件。10年まえの約10倍に増えたという。
■故宮沢元首相が政界引退の際、弱々しくインタビューに答えていたのを思い出す。「日本の国家財政はすでに破綻していますね」。国の借金は膨れている。現在、国と地方の債務残高(借金)は1050兆円を超えた。国民一人当たり約850万円だ。だから、いま赤ちゃんが生まれてくれば、自動的に850万円の借金を担わされる計算になる。高齢者の年金から医療保険料を天引きするより、もっと質が悪い。美田を残すどころではない。借金のツケを次代の子孫にまわしていく。無責任で残酷な話だ。国家、民族による“子孫虐待”ではないか。
■日本人は戦後の復興を成し遂げた。神戸市民は震災から見事に立ち直った。ゼロからの出発だった。皆が苦労した。隣人を思いやる心が芽生えた。連帯意識が社会を蘇らせた。そしていま、繁栄の時代が過ぎ去ろうとしている。日本社会は再び苦難の道へ向かう。極端な出生率の低下から、人類が経験したことのない高齢化社会に突入したのだ。飽食時代を生きた世代には、つらい耐乏生活が待ち受けているかもしれない。しかも地球環境の劣化や山積する社会の矛盾も同時に先送りされるのだ。この厳しい現実を直視しなければならない。
■人間は相当苛酷な環境にも耐えられる。戦後の窮乏の時代に育った体験から、そう断言できる。栄養失調になっても、ボロを纏っても、皆同じなのだからと、平気だった。“平等”という概念は、人の心を平和に導くものらしい。しかし、人は“不平等”には耐えられない。特に富の配分が公正になされないと、人心は乱れ、社会は荒れる。もし高齢化社会と格差社会がドッキングしたら、どんな世界が現出するのだろう。こどもの日に、とんだ悪夢を想い描いてしまった。「足らざるを憂えず。等しからざるを憂う」。政治の要諦だといわれる。[完]