吉か凶か、石榴(ざくろ)の大成(おおなり)
紫垣 喜紀
猫の額ほどの庭に石榴の木が植わっている。24、5年前に、札幌から東京に転勤したとき、鉢植えの石榴の苗木を引っ越しのトラックに放り込んでおいた。
その苗が、いまでは根本の幹の直径が30センチほどに太り、剪定を怠れば電線に触れて障碍になりそうなほどに成長した。大変な暴れ木である。
春先には、根元から無数のひこばえが芽を吹いてくる。エッサイの株からでる若枝と違って、石榴の根株からでる芽は棘を持って人を寄せつけない。秋が終われば、紅葉もせず無数の小さな落ち葉をまき散らす。
傍若無人に振る舞う石榴の木のただ一つの取り柄は、初夏に開花する艶やかな鮮紅色の花であろう。その短い花期が終われば、この木が注目されることはない。幾つかの小さな実をつけることはある。
しかし、小鳥たちは勿論、貪欲なカラスやヒヨドリすら寄りつかない。虫も付かない。秋の終わりに地べたに実が落ちて空しく種子をばらまくだけである。石榴は独りぼっちの暴れん坊だ。
ざっと
ニュートンはリンゴの
脚立から石榴の枝に飛び移り、幹に抱きつきながら上の枝を切り落としていく。
いまから60
日の高いうちに暖簾をくぐると、先客の爺さんたちが頭に手ぬぐいをのせて湯船につかっている。大きな富士山の絵をバックに、♪旅行けば駿河の国に茶の香り♪、と広沢虎三(浪曲師)を唸っている。僕たちは爺さんたちの周りで、水遊びならぬお湯遊びに興じて時間のたつのを忘れた。
その途中に七曲という旧武家屋敷街を通る。石垣の上に白壁が走っていて、壁の上から石榴の枝が張り出して実がぶらさがっていた。
そんなある日曜日、風呂帰りの僕は白壁の前に来ると手ぬぐいと洗面器を地べたに置いた。下駄を脱ぐと、石垣をよじ登り石榴の実をもぎ取った。
やった!
不覚にも、石榴を失敬したところを悪童の一人に目撃されていたのである。
からかいの材料に飢えていた悪餓鬼たちに、始末の悪いネタを提供してしまった。それにしても、1個の石榴をもいだだけで、泥棒呼ばわりは大袈裟ではないか。そう思ったが、後の祭りであった。
この「ざくろ
悪童たちは当初、「ざくろどろぼう」と囃し立てていたが、如何せん名前全体が長すぎる難点に気付いたようだ。やがて「ざく泥」という省略形が流通するようになる。しかし、これもなんだか語呂がよろしくない。そこで、発音の続き具合を滑らかにして「じゃく泥」という変形が登場した。だいぶこなれてはきたが、「じゃく泥」はさらに進化する。
僕に好意を持つ親友たちが、語尾の「泥」を削除。代わりに敬称の「さん」を
つけてくれた。その
「じゃくさん」の綽名は中学、高校に進学しても廃れなかった。中学で初めて習う英語の教科書が「Jackand Betty」だったものだから、またまた冷やかしの矢面に立たされたりもした。小学生の頃には殆ど抵抗感はなかったが、中学の高学年になるころから、この綽名が疎ましく思えるようになってきた。
「じゃくさん」には「弱さん」「寂さん」などと、あまり威勢の良くない響きが籠もっているように感じられたからである。大学進学で上京してからは、「じゃくさん」と呼ぶ友達はほんの一握りになり、そして誰もいなくなった。
数年前、熊本に帰って、くだんの石榴の木があった七曲周辺を訪ねた。鬱蒼とした屋敷の杜は姿を消し、陳腐な住宅街に変わっている。
旧武家屋敷街の跡は消滅していた。綽名をつけてくれた友だちも夭逝した。その事は知っていた。
説明通りにやってみると、赤い粒々の果肉の部分をうまく楽に取り出すことができた。石榴を持て余している方にはこの方法をぜひお勧めしたい。
まず、
これで後は食べるだけである。お皿に盛ったザクロをスプーンですくって口に放り込めばよい。コロンブスの卵、目から鱗の「石榴の捌き方」であった。
スプーン一杯のザクロの味は「爽やかな甘み」と表現したらいいだろうか。
珍しさもあったせいなのだろうが、試食してくれた皆さんからは「おいしい」と好意的な評価をしていただいた。
石榴といえば、
中国陝西省の西安に、華清池という観光地がある。いまでこそ観光地であるが、かつては数々の歴史の舞台となってきた。その一つが、唐の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスである。楊貴妃は、ごく軽い腋臭の持ち主だったとされるが、華清池の温泉に浸ってえも言われぬ芳香を放ち、玄宗を魅惑したという。
「温泉水滑洗凝脂(
この華清池の庭園には大きな石榴の木がいたるところに植わっている。実は日本の石榴の3倍以上の大きさに育つそうである。楊貴妃はザクロを好んで食したという。果物ではザクロとレイシーが好物だったようだ。
石榴には女性ホルモンの一つ、エストロゲンが含まれていると言われるが、薬効は疑問視されている。しかし、天下の美女、楊貴妃が好んで食したとなれば、現代医学も解き明かせない美容の秘密が隠されているのかもしれない。
東の楊貴妃に対して、西のクレオパトラはどうだったのだろうか。
エジプトは石榴の産地である。アレキサンドリアの宮殿にもたくさんの石榴の木があった。クレオパトラもまた、楊貴妃と同じく石榴を好んだという。
歴史上の美女たちには何と多くの共通点があることだろう。このあと辿る運命までがそっくりなのである。
唐を絶頂期に導いた玄宗も、楊貴妃に溺れて治世が乱れていった。部下の突上げから庇いきれなくなり、楊貴妃は縊死(首つり)させられることになる。
一方、女王クレオパトラも、色香の虜にしたローマの武将たちが政敵に斃されてしまった。
二人は「傾国」の名の通り国を滅ぼし、自らも非業の最期を遂げたのである。
「傾国の美女いるところ、石榴あり」。筆者はこの点に注目し、これら二つの相性を訝っている。「石榴」は凶兆なのか。「滅亡」へ誘う触媒なのか。
答えはない。残念ながら、真面目に研究した人がいなかったようだ。
最後に、クレオパトラよりうんと昔の時代の婦人を考察しよう。
エバは人類最初の女性として旧約聖書の創世記に登場する。エバの容姿について聖書には記されていない。しかし、人類初なのだから美女でなければならないと筆者は考える。エバは蛇にそそのかされ、神に禁じられていた“善悪の知識の木”の実を食べて、アダムとともにエデンの園を追放された。
この聖書物語に出てくる禁断の木の実 (善悪の知識の木の実)は、一般的にリンゴとされている。しかし、禁断の実がリンゴだとは聖書に書かれていない。
エバが
これに対し、中東の気候風土からみて、彼女が食べたのは石榴ではないかと主張する学者がいる。この方がうんと雰囲気が出てきそうな気がする。
「エバが
禁断の実が石榴であったとすれば、エバは「ざくろ泥棒」の元祖であり、私の大先輩ということになる。
石榴の大成は瑞兆(よい兆し)とは思えない。
異常な気候変動がもたらした徒花であろう。
石榴に何の咎があろうか。
石榴に罪はない。
石榴は乾いた暑い夏を満喫したまでだ。
小さな庭は多摩丘陵の尾根の近くにある。
40年前近くの雑木林に白樺が自生していた。
転勤先の札幌から帰ると、白樺は消えていた。
気候が北上している。
人類は豊かさに執着して飽くことを知らない。
世界中が資源確保に血道を上げる。
メキシコ湾の原油流出、尖閣諸島の争い、チリ鉱山の落盤。
どれも開発競争の延長線上にある。
利害だけが浮き彫りになる国際環境会議の議論。
気候変動は加速する。
野生生物が恐ろしい勢いで破滅に向かっていく。
人類はどこまで造物主への反逆を続けるのか。 [完]