The Death Penalty

  20101121日  


紫垣 喜紀

死刑を考える勉強会

 ロゴス教会に高橋渉さんが入会して間もなく、信徒の間に微妙なとまどいが生じた。高橋さんはアムネスティ運動にかかわって、熱心に死刑廃止運動に取り組む青年である。穏やかながら旺盛な行動力を発揮して、20093月に教会で「死刑問題を考える」勉強会が開かれることになった。講師は市民活動を続けているカトリックの門間幸枝さん。なかなかの激情家のようである。開口一番、「皆さんは、死刑制度に賛成ですか、反対ですか」と鋭い槍を突きつけられてしまった。誰もが声にならないため息を漏らした。死刑などというものは遠い向こうにある非日常の出来事なのである。考えたこともない。だから答えられない。沈黙していては講師に失礼だと思って、私はこう答えた。「死刑廃止は理想だとは思いますが、現状では時期尚早だと考えます」。「時期尚早」というのは単なる逃げ口上にすぎない。この問いに対する答えは、イエス、ノーの二者択一しかない。そう思って「私は賛成です」と付け加えた。

門間女史は、冤罪とのからみで死刑廃止の熱弁を振るわれた。イギリスの死刑廃止は、死刑執行後に無実とわかった冤罪事件がきっかけだったと説明された。

そんな話が記憶に残っている。

 一年後の20103月には、再び「キリスト者として死刑を考える」講演会が開かれた。講師はイエズス会・社会司牧センターの柴田幸範さん。

世界の現状では、死刑制度を廃止した国が、実施国よりはるかに多いこと。

欧州連合(EU27ヵ国)が死刑を廃止していること。EUは新規加盟の条件として死刑制度の廃止を要求していること。そんな貴重な情報を提供していただいた。柴田さんは、ヨーロッパでは政治が主導して与論を作り死刑廃止に踏み切っているとも、強調された。どこにそんな立派な政治家がいたのだろうか。誰のことだろう。この点には少し疑問を持ったが、自分の無知を暴露するようで質問するのは憚られた。

無関心だった死刑制度

 私は、1968年(昭和43年)の夏、永田町にある首相官邸の記者クラブに籍を置くことになった。駆け出し記者の役割は「番記者」である。番記者というのは、首相の後から金魚の糞のようにくっついていく人たちのことである。最高権力者のそばに寄れるので大層偉くなったような錯覚に陥る。態度もでかくなる。番記者は首相の動静を頻繁に政治デスクに報告する。○時○分、栄作が党本部に入りました。いまは角栄と差し(二人)で話していますが、間もなく政調会長も入ります」。まあ、こんな調子である。しかし、番記者の実体はそんなかっこいいものではない。とても妻子に胸を張って見せられない。当時は、佐藤栄作首相だったから「佐藤番」と呼ばれていたが、首相のぎょろ目で一瞥されると眼力と風圧に押されて口もきけないほど緊張したものである。

 佐藤番を担当しない日には、私は法務省を取材する役割もあった。当時の法務省本館は赤いレンガ造りの建物で桜田門の近くにあり、建物の主は西郷吉之助法相だった。西郷隆盛の孫である。明治100年(昭和42年)を記念して佐藤首相が起用したご祝儀人事である。春風駘蕩。大臣室には隆盛が揮毫した「敬天愛人」の額が飾られていた。私にとって法務省記者クラブのソファーは昼寝のベッドだった。ネタがない。原稿もあまり書いた記憶がない。だから、確かではないが、西郷法相は死刑執行を決済しなかったのではなかろうか。

歴代法相39人のうち12人は死刑執行の命令書に署名していない。

 内閣改造があって、小林武治新法相になって省内の空気はがらりと変わった。小林法相は、池田勇人、佐藤栄作と旧制第五高等学校の同級生である。参議院自民党のドン重宗雄三とも近い。名うてのタカ派である。法務官僚は緊張した。強持てである。早速、長沼ナイキ訴訟で福島裁判長の忌避を申し立てた。国として前例のない強権発動ぶりである。武闘派だけに死刑執行にも躊躇しなかった。各地で5人を殺害した広域殺人犯、西口彰を死刑にしている。女性の死刑執行の命令書に判を押したのはこの人が初めてであった。しかも2人である。一体幾人の判をついたのか覚えていない。しかし、恐い者知らずの小林法相も舌禍事件で引責辞任。次の参議院選挙で落選して政界を引退した。奢れる者久しからずということだろう。

 私は当時、死刑制度には少しの関心も持たなかった。報道機関の取材体制は縦割りである。政治部、社会部、経済部などのセクションに分かれている。なかでも政治部と社会部は犬猿の仲でいつもいがみ合っている。犯罪、裁判、死刑などは社会部の取材対象だ。政治記者の私は取材対象外のテーマには冷淡であった。死刑制度に関心はなかった。

修道僧も「銃殺だ!」 

ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の中の一節を引用したい。

カラマーゾフ三兄弟のうち、次男と三男の二人が町の料理屋で議論する場面がある。次男のイワンはシニカルな無神論者。三男のアリョーシャは誰にも愛される純情な青年で、修道院で暮らす修行僧である。

会話は議論好きのロシア人らしく理屈っぽい。議論というより、無神論者のイワンが、一方的に自説を展開していく。修道僧のアリョーシャは聞き役である。この中で、イワンがアリョーシャの信仰心を試す行(くだり)がある。

 イワン「今世紀のはじめ、一人の将軍がいた。引退生活に入っても、領地に2000人の農奴をかかえて暮らし、人を人とも思っていなかった。犬舎には数百匹の犬がいて、百人近い犬番がついていた。

 ある時、召使いの息子で、八歳になる男の子が石投げをして遊んでいるうちに、将軍お気に入りの猟犬の足にケガをさせてしまった。 子どもは一晩中仕置き部屋に閉じこめられた。将軍は翌朝、狩猟用の衣装に着飾って馬にまたがった。まわりには、犬や犬番や勢子が勢ぞろいして待機している。

 その周辺には召使いたちが見せしめのため集められ、一番前に子どもの母親がつれてこられた。

 子どもは丸裸にされて野原に放たれた。

 『追え』と将軍が命令する。子どもは走って逃げ出す。

 『かかれっ!』と将軍が絶叫する。

 ボルゾイ犬(猟犬)の群れが残らず解き放された。

  母親の目の前で、犬どもは子どもをずたずたに食いちぎって…………………

 さあどうだ。こいつをどうすればいい? 銃殺にすべきか?

道義心を満足させるために銃殺すべきか?言ってみろ、アリョーシャ」

アリョーシャ「銃殺にすべきです!」。青白いゆがんだ笑みを浮かべて、アリョーシャが低い声でつぶやいた。
イワン「やったぜ」。イワンは有頂天になって叫んだ。

「おまえがそう言ったってことは、つまり…やれやれ、たいした苦行僧だよ! ってことは、おまえの心のなかにも悪魔のヒヨコがひそんでるってわけだ、アリョーシャ君!」

アリョーシャ「ばかなことを言ってしまいました。でも…  」(亀山郁夫訳)

神に仕える修業僧として、アリョーシャは口にしてはならない言葉を思わず漏らしてしまう。聖職者としては不穏当な発言なのであろう。しかし、あまりに残酷非道な仕打ちに、若いアリョーシャの本音が出た。心の底にある復讐、応報の炎が吹き出したといえる。

聖職者ならぬ私は、人間の限界を下に踏み破った「人獣」は、上に突き破った「人神」とともに、絶対に赦すわけにはいかないと考えている。

あまりに不条理な事件

 NHKの放送に「ラジオ深夜便」という番組がある。眠れない高齢者を主な対象にして結構人気があるという。その放送の午前4時台に、かつて「心の時代」というコーナーがあった。

はっきりした日時は覚えがないが、数年前の放送を思い出す。凶悪事件で奈落の底に落とされた遺族が、拭い去れない苦悩を語っていた。

初めの部分は、ぼんやり聴いていたので、事件の詳細はわからない。途中から次第にインタビューに引き込まれたのである。

小田急沿線に住む親子三人の平和な家庭を襲った悲劇であった。勤務を終えて帰宅途中の娘さんが、男に襲われ、ナイフで殺害されたのである。驚愕した父母は警察に駆け込む。遺体の検死に立ち会わされた。そこで次の悲劇が起こった。母親が、娘さんの首の傷口を見て強いショックを受け、神経に障害を起こしてしまったのである。父親は奥さんを介護するために退職する。しかし、その甲斐もなく、奥さんは鉄道に飛び込んで自ら命を絶ってしまった。あっという間に、愛する娘と妻を失った父親の苦悩は想像を絶する。私もラジオを聞き続けるのがつらかった。質問者の問いに答えるまで、父親の長い沈黙が続いたのも苦痛の深さを物語っていた。

 父親は裁判所に通う。加害者は法廷でも反省の色をまったく見せない。詳しい状況はわからないが、裁判所内で父親に向かって「てめえもぶっ殺すぞ」と暴言を吐いたこともあったという。父親は、自分の神経もずたずたに切り裂かれたと声を震わせた。

父親は退職して生活費にも困り、裁判所に行く交通費もやっと工面していたという。それに比べ、殺人犯の男には公費で食事が与えられ、国選弁護人がついて手厚く人権が守られている。その矛盾、不条理を悔しがった。

この放送で、被告にどんな判決が下されたのか、聞き漏らしてしまった。あるいは、係争中だったのかもしれない。そこはわからないが、通常、初犯で一人殺害した場合に、極刑が言い渡される例は多くない。無期懲役だとすれば、男は税金で養われるうえ、通常、10年から15年ほどたてば仮釈放される。

一方、娘と妻を失った父親の打撃は限りなく大きい。家庭は破滅させられた。父親は、癒されることのない絶望を背負って生涯を送らなければならない。

犯罪で喪失した経済的な損失は、誰も補ってくれない。公的な支援もない。

放送を聴き終えて息苦しくなった。こんな地獄があっていいものだろうか。

そんな馬鹿な! 何か、どこかがおかしい。 天を仰いだ。

ギロチンはやっと終わった

 フランス革命以前の処刑は残酷だったらしい。斧による斬首や車裂きの刑が公開の場で強行されていた。あまりの惨たらしさに、パリ市民の間に不穏な空気が広がっていく。そこに登場したのが、医師で国民議会議員のジョゼフ・ギヨタン博士である。ギヨタン博士は、受刑者に苦痛を与えない断頭台の開発を議会に提案した。議会もこの人道的な提案を採択。新たな処刑装置が開発される運びになった。

断頭台の開発に大きな役割を果たした人の中に、国王のルイ16世がいる。ルイ16世は鈍重で優柔不断な性格だったと伝えられる。大臣や貴族を押さえる力がなく、王妃マリー・アントワネットの専横も諫められなかった。政治に不向きな国王も、機械いじりだけは得意だった。

ルイ16世は設計図を見ながら、肝心な部分の欠陥を見つけた。切断する刃が三日月形になっている。これではよく切れない。刃を三日月形から斜めの形状にするよう提案した。設計図は修正された。こうして断頭台が完成したのである。

 この装置は、4メートルの高さから40キロの斜めの刃を落とし、一瞬に首を切断する。発案者のギヨタン博士の名前をとって「ギヨティーヌ(Guillotine)」

という呼び名が定着した。英語読みは「ギロティーン」。日本語読みでは少し訛って「ギロチン」となった。

 フランスは、当時アメリカ独立戦争に深入りしすぎた。巨額の戦費調達に苦しみ財政が破綻していった。市民生活が疲弊する中、ヴェルサイユの主、マリー・アントワネットの華麗な宮廷生活が市民感情を逆撫でした。こうしてフランス革命に火がついた。国王夫妻は国外逃亡を企てるもあえなく失敗。反逆罪に問われ、あわれ断頭台の露と消えた。ルイ16世自ら手を加えたギロチンによって、ブルボン王朝は切断されたのである。

革命期に、ギロチンはフル稼働した。連日、数百人の首を効率よく切った。恐怖政治を敷き、大量の受刑者をギロチンに送り続けたジャコバン党のロベスピエールも、最後は自らギロチンのお世話になった。

フランス革命期に開発されたギロチンはフランスの伝統的な処刑の道具として現代に至るまで使われ続けてきた。しかも、第二次世界大戦直前までは、処刑は公開で行われていたという。

 ヨーロッパ先進諸国のなかで、フランスは最後まで死刑制度を温存した。

劇的な変革が起こったのは1981年である。この年の大統領選挙で、社会党のフランソワ・ミッテランは死刑廃止を公約に掲げていた。当時の世論調査によれば、死刑制度に賛成が63%、反対は32%であった。側近は公約を降ろすよう進言したが、ミッテランはそれを退けた。「いかなる人間も、特定の人の死を決める権利はない」「死刑制度廃止は私の信念であり、これが実現しなければ大統領にならない」。ミッテランは信念を貫いて大統領に選ばれた。大統領就任後わずか4ヶ月で「死刑廃止法案」が上下両院で可決成立したのである。ミッテラン大統領はごくわずかな期間に過半数の議員の支持をとりつけるのに成功した。その政治手腕には端倪すべからざるものがある。

最近の世論調査によれば、戦後の偉大な大統領として、ミッテラン(30%)はドゴール(36%)に次いで二番目につけている。そして、最大の功績として、意外なことに「死刑廃止」が高く評価されていた。

いずれにせよ、フランスは政治主導で死刑を廃止した。200年近くにわたって血を流し続けてきたギロチンはその役目を終えた。

ミッテランの片腕

 20101018日の朝日新聞に、フランスのロベール・バダンテール元法相のインタビューが掲載されている。ミッテラン大統領の右腕として死刑廃止に取り組んだ。弁護士として担当した男性が、無罪を主張しながら自分の目の前でギロチンにかけられた。その衝撃から死刑

廃止運動の先頭に立った。

なぜ死刑は廃止すべきなのですか。

 民主主義国家と死刑制度は共存できないと考えます。人命尊重は人権思想の基本であり、民主主義は人権に立脚しているからです。

 日本は、死刑制度を維持する仲間がどんな顔ぶれか、一度ふり返った方がいい。世界で最も死刑が多い国は中国です。続いて宗教法に固執するイラン、サウジアラビア、イラクです。アメリカで維持しているのは、テキサスなど南部で人種間の緊張が強い州です。

フランスが廃止した決め手は。

「政治的勇気」に尽きます。ミッテランはそれを備えていました。彼は、世論に不人気だと十分認識しつつ、「大統領に選ばれたら廃止する」と明言しました。

復讐したい人に代わって国家が執行するなら、死刑は正当化されませんか。

復讐は、被害者の遺族に殺人犯を渡せば実行できるが、それは古代への逆戻りです。人類の進歩のひとつは、個人的復讐から司法制度に移行したことにあります。

ただ、哲学的側面だけから死刑を論じてはなりません。死刑は人の命を奪う法的現実なのです。その過程で様々な不平等があります。処刑した人物よりも重大な罪を犯した人物が処刑を免れる。メディアの批判を受けたり、大統領が偶然死刑を支持したりという巡り合わせも判決に大きく影響する。司法とは極めて人間的で、か弱いからです。

裁判は被告の社会的環境とも無関係ではありません。死刑の陰には必ず、社会的不平等や差別が隠されています。

死刑の世界地図

 死刑制度を続けている国は、“アジア”が圧倒的に多い。次に“アフリカ”である。これらの地域以外で目立つのは超大国“アメリカ”である。

20101018日の朝日新聞が「死刑の世界地図」と題して特集記事を掲載している。この企画を参考にしながら、死刑制度の各国事情を整理してみたい。

なお、これから先の記述は朝日新聞の記事をもとに再編集、要約していることをお断りしておきたい。まず、死刑を廃止している国と存続している国の数を、表にまとめてみた。

死刑全廃国

95

 

通常犯罪で廃止

9

軍法下の犯罪などに死刑の規定

事実上廃止

35

10年以上死刑執行がない国

死刑存続国

58

中国、イラン、アメリカ、日本など

 ヨーロッパでは独裁国家のベラルーシを除き、死刑は廃止されている。欧州連合(EU、27ヵ国)は新規加盟国に死刑廃止を条件として要求している。加盟候補国のトルコは、そのために2002年廃止に踏み切った。

死刑廃止の根底にあるのは「人権重視」の考え方である。政府は“生命の尊重”という基本ルールを監視する立場にある。その政府が死刑という形で自ら破れば、ルールの信頼性や正当性が損なわれる。そう考えるのだ。そうした背景には、歴史からえた教訓があるのだろう。過去の反省から、“国家権力は個人の人権を侵害しないよう抑制的に使うべきだ”という思想が根づいている。とはいえ、ヨーロッパが死刑廃止に至ったいきさつは、国によってばらばらだ。

 ドイツは、第二次世界大戦のナチス時代の後遺症を引きずっている。当時、政治犯やユダヤ人が大量に殺された。ドイツ人には、国家に人を殺す権利を与えることに、強いアレルギーが生じた。戦後1949年に制定した“ドイツ連邦共和国基本法”(憲法のこと)の102条で死刑を廃止した。

 イギリスは1969年、死刑廃止に踏み切った。二女性殺害の罪で処刑された男性が実は無実だった。この冤罪事件が廃止のきっかけになった。「エヴァンス事件」という。しかも、真犯人は8人を殺害していた事実が分かり衝撃を与えた。「冤罪、誤判の恐ろしさ」が廃止に結びついた。

 フランスは、ヨーロッパ先進国で最後まで死刑制度を残していた。1981年、ミッテラン政権のもと「政治主導」で廃止された。2007年にはフランス共和国憲法を改正。「何人も死刑の宣告を受けえない」との条文を挿入した。

 死刑を廃止したヨーロッパにあっては、「刑罰」の目的は犯人を更生させて社会復帰させることにある。それが不可能な場合は、社会から隔離する(終身刑)という考え方をとることになる。

 ヨーロッパでは、「死刑廃止支持」の世論が徐々に高まる傾向にはある。しかし、凶悪犯罪が発生するたびに、どの国でも死刑制度復活を求める運動が起こる。死刑復活の声は依然根強く残っている。2006年、イギリスで5人の女性が殺害される事件があった。犯人の男に終身刑が言い渡された。判決後の世論調査では、死刑復活支持が50%、死刑反対の40%を上回った。遺族は「死刑復活を議論すべきだ。そうでなければ、将来私たちと同様の苦しみを味わう家族がでてくる」と語っている。やはり当事者になると、無念の感情が拭い去れない。

中国は死刑大国

 アジアの多くの国々は死刑制度を続けている。中国政府は死刑判決や死刑執行を国家機密として公表しない。国際人権団体のアムネスティは2009年の死刑執行を数千件と推定する。世界中で群を抜いて多い。死刑大国である。20104月には、麻薬密輸罪に問われた日本人4人も処刑された。

中国では68の犯罪に最高刑として死刑が適用される。汚職、強盗、強姦、窃盗、詐欺でも死刑になりうる。

刑法に「国家安全危害罪」の条項がある。何が国家の安全なのか、規定はない。捜査機関や裁判官の判断で死刑が適用される。しかも、裁判所も検察も共産党の政法部が管轄している。当然、党の判断が加わる。中国の死刑制度は「統治の道具」という色彩が濃い。1966年から10年間続いた「文化大革命」では、司法手続きを踏まずに多数の人が殺されたという。迫害で自殺に追い込まれた人を入れると、犠牲者は数万人から2000万人まで諸説がある。

1978年、ケ小平の改革開放政策が始まると、市場経済の波にもまれ汚職が続出。凶悪犯罪も激増したといわれる。2006年、ケ小平は「非常事態だ、重く早く犯罪を打て」との方針を出す。3年間の超法規的措置として、一審で死刑判決を受けた被告の上告が禁じられた。いわゆる「多殺」政策が2000年ごろまで続いた。この直接的な表現の「多殺」とは厳罰で臨むという意味である。

2002年に誕生した胡錦涛政権はこれを変えたという。最高裁は「死刑を厳格、慎重に審理する」という方針を決めた。いまは「少殺」の時代なのだそうだ。

法治を進める姿勢を示したのだろうか。経済大国として国際的な批判をかわそうという狙いなのだろうか。

全国人民代表大会も、20108月、刑法修正法案をまとめた。経済関係の13の法律について、死刑の適用を廃止するとしている。

これに対する世論の反応は微妙だ。「犯罪が増えるのではないか」「汚職役人の処罰が甘くなるのではないか」。そんな心配が先に立つようだ。

「多殺」から「少殺」の時代に移った中国。その「少殺」の時代に入っても年数千件の死刑が執行されている。死刑が恐ろしい「統治の道具」になっている。

宗教と死刑制度

 イランの死刑は、日本と同じ絞首刑が基本だが、既婚者の不貞だけは「石打ち刑」と定められている。受刑者を土に埋め絶命するまで石を投げつける。この4年間に少なくとも7件の刑が執行され、14人以上が執行を待っているといわれる。政教一致のイランの法律は、聖典コーランや預言者ムハマンドの言行伝承を基礎にした「イスラム法」である。人間生活のすべてを律する規範「神の命令」である。

言論統制が厳しいイランでは、残虐な死刑の是非が論じられることはない。疑問を投げかければ、イスラム法を冒涜したという重罪に問われるからだ。

イランでは強姦、同性愛、麻薬密輸などにも死刑が適用される。死刑が執行されると、国営のメディアが死刑囚を匿名で短く報じるという。2009年には339件が公表された。しかし、人権団体によれば、少なくとも402人が処刑されたという。政治犯の処刑は伏せられているためだ。

 同じイスラム圏でも、隣国トルコは死刑を廃止している。トルコ共和国の初代大統領のケマル・アタチュルクは徹底した西欧化を進め、厳格な「政教分離」を憲法にうたった。国民の99%がイスラム教徒だが、イスラム法で罰せられることはない。トルコは欧州連合(EU)加盟を強く望んでいる。2002年、悲願達成に向けて、「死刑廃止法案」を成立させた。

死刑廃止と宗教の関係から世界を眺めると、カトリック教国は死刑廃止に踏み切っている。ヴァティカンの現在のカテキズム(教理書)には「死刑執行が絶対に必要とされる事例は皆無ではないにしても、非常にまれなこと」としている。1999年、前法王のヨハネ・パウロ2世はこれを踏まえて「世界のすべての指導者たちが死刑廃止に同意するよう訴えたい」とメッセージを発表した。

アジア唯一のカトリック教国フィリピンも死刑を廃止している。2006年、熱心な信徒だったアロヨ元大統領が、法王との接見を前に政治主導で実現させた。

法王の意向に沿い、死刑制度を存続させている日本、韓国、アメリカのカトリック団体も死刑反対の姿勢をとる。

 韓国では金大中政権以降、死刑執行は停止されている。200710月、金大中元大統領は、市民団体が主催した「死刑廃止国家宣言式」に出席。金大中自身、民主化運動で死刑判決を受けた体験がある。金大中は「自分や家族が受けた苦痛は甚大だった。命は神が与えた権利。人間には善と悪の両面がある。罪を犯したからといって命を奪い、更生の機会を奪ってはいけない」と訴えた。

 この13年間、死刑は執行されていないが、法律上は死刑制度が存続している。毎年34人の死刑判決が確定しているので、生存死刑囚は増え続けている。

世論調査では、60%以上の人が死刑執行を支持している。凶悪犯罪が起こるたびに死刑執行再開の声が高まる。これまで国会に提出された「死刑廃止法案」はことごとく廃案になった。そして、国論を二分して存廃論議は続く。「事実上の死刑廃止」といっても、「制度上の死刑廃止」までの道のりは遠い。

死刑急増の日本

 日本では、平安時代の約350年間は、死刑がなかったといわれる。仏教の不殺生の考え方や「人を殺せば祟りにあう」という怨霊思想が背景にあったのではないか、とされている。しかし、古代から現代に至る死刑制度を考察するには、知識と時間とエネルギーがあまりにも乏しすぎる。ここでは平安時代の 特異性だけを指摘して、今日の現状を検討してみたい。
 「人は、他の人を殺してはいけない」。これは世界に広く受け入れられる倫理であろう。 「人を殺した人が、国家によって殺される(死刑)のは、正しいことなのか」。

この問いに賛否が分かれる。死刑支持派と廃止派の間に深い溝ができる。

 賛成派の根拠の一つは「応報」の考え方である。「歴史上、私的な仇討ち(復讐)が広く行われてきたが、それを禁じる代わりに、国家が罰を与えることが正当化された」。これが応報の基本的な論理である。

ドイツの哲学者カントは「犯罪の重さによって刑罰が加えられることによって、正義が実現される」と応報を重視している。

この「応報」論の他に、「凶悪犯罪の予防になる」という「犯罪抑止力」を重視する死刑支持派も多いであろう。

 2009年、内閣府が行った「死刑制度に対する意識」調査を紹介したい。

@場合によっては死刑もやむをえない…85.6%、Aわからない、一概に言えない…8.6%、Bどんな場合でも死刑を廃止すべきである…5.7%。

死刑廃止の世論は弱々しい。日本人の心には伝統的な敵討ちのDNAが潜んでいるのだろう

か。死刑支持派が圧倒的に多い実体が明らかになっている。

 2000年代に入って、日本の死刑判決、死刑確定が急増。死刑執行もそれを追って増え続けている。

年度

97

98

99

00

01

02

03

04

05

06

07

08

09

判決

9

19

16

23

30

24

32

43

39

45

52

28

34

確定

4

7

4

6

5

3

2

14

11

21

23

10

17

執行

4

6

5

3

2

2

1

2

1

4

9

15

7

死刑が確定した件数は2004年から6年連続で10人以上となった。死刑が確定しても執行されていない「生存死刑囚」が100人前後まで増えている。

その背景には、加害者に厳罰を求める被害者団体の主張の高まりがある。そんな影響もあって、検察の求刑は厳しくなった。裁判官も従来の「量刑相場」にとらわれずに厳しい刑を言い渡す傾向が出ている。犠牲者が1人の場合の死刑判決も珍しくなくなった。下級審では無期懲役だったのが、上級審で死刑になるケースも相次いだ。死刑廃止どころではない。死刑急増の趨勢が続く。

 一方、判決に疑問符がつくケースも目立つ。死刑判決の確定した人が再審で無罪になる例も増えている。1983年以降4件にのぼる。恐ろしい冤罪、誤判も死刑判決の増加とともに増えているのだ。

 しかし、死刑制度の是非については、政界でも、法曹界でも、言論界でも、表だった論争がほとんど行われていない。20107月、死刑廃止論者だった千葉景子法相が2人を死刑にして世間を驚かせた。千葉法相は刑場をメディアに公開。死刑のあり方についての勉強会を立ち上げた。しかし、死刑論争を巻き起こす起爆剤になるとはとても思えない。

人種差別と冤罪とアメリカ

 アメリカでは、現在50州のうち35の州が「死刑制度」を保持している他、合衆国連邦法と軍法に死刑の規定がある。過去には死刑廃止の時期もあった。連邦最高裁が死刑を違憲とした1972年から5年間、一時的に死刑は廃止されている。しかし、1976年に「合憲」との判断が示され、死刑が復活した。死刑執行が再開された1976年から20109月までに、1228人が処刑されている。先進国の中では際だって死刑執行の数が多い。死刑判決を受けて執行されていない「生存死刑囚」は3000人を超えているという。人種間の軋轢が大きく、貧困な南部諸州で死刑執行が多い傾向にある。なかでもテキサス州は群を抜いて処刑が多い。2007年には全米で執行された42人のうち26人がテキサスで処刑されている。「犯罪者に厳罰をいとわないカーボーイ気質」や「根強く残る人種差別意識」が背景として指摘されている。

かつては、死亡を伴わないレイプ事件にも死刑判決が横行した。判決を受けて処刑されたのは、ほとんどが黒人である。ここでも人種差別の批判が出た連邦最高裁は違憲の判断を示している。ルイジアナ州など5州は法律の見直しを求められている。

死刑の適用に当たって、経済差別が存在するとの指摘もある。報酬の高い優秀な弁護士を雇える富裕層が司法取引などで減刑される。それに比べ、貧困層多いアフリカ系アメリかつては、死亡を伴わないレイプ事件にも死刑判決が横行した。判決を受けて処刑されたの

は、ほとんどが黒人である。ここでも人種差別の批判が出た連邦最高裁は違憲の判断を示している。ルイジアナ州など5州は法律の見直しを求められている。

死刑の適用に当たって、経済差別が存在するとの指摘もある。報酬の高い優秀な弁護士を雇える富裕層が司法取引などで減刑される。それに比べ、貧困層多いアフリカ系アメリカ人への死刑適用率が高いというのだ。結局、人種に結びついてしまう。犯罪捜査にDNA鑑定が導入されて以来、過去に死刑判決を受けた数多くの死刑囚が冤罪だとわかり、アメリカ社会に衝撃を与えた。1973年から2001年までに、DNA鑑定で96人の死刑囚の無罪が判明し釈放されている。このため、2004年には、有罪判決確定後もDNA鑑定を受ける権利を保障した「冤罪者保護法」が制定されている。

死刑は相手を一人前に扱うことだ

 20101018日の朝日新聞に、インディアナ大学ロースクールのジョセフ・ホフマン教授のインタビューが掲載されている。ホフマン教授はアメリカの犯罪研究の第一人者でイリノイ州の死刑制度改革にも携わってきた。

アメリカ人の考え方を知る興味深いインタビューなので、要約して転記した。

死刑を支持するのはなぜですか。

 犯罪の中には時に非常に残酷で暴力的なものがあります。そうした凶悪犯罪を死刑にしないことは、その犯罪の残忍性を過小評価することになります。カント的な考え方に沿って言えば、感情的な報復ではなく、司法自体が応報的である(罪に報いる)必要があると思います。

 罪を犯した人に相応の罰を与えないことは、その人間を一人前の人間として扱っていないということにもなります。

責任能力のない人が罪に問われないのもそうした理由です。

また、死刑制度が存在している社会契約の中で生活している以上、残虐な罪を犯した人間の死刑を避けるということは、被害者に対する屈辱にもなります。死刑は被害者の命を大切にしていることの裏返しでもあるのです。

欧州は死刑を非文化的なものと非難していますが、それはどう考えますか

 そもそも米国と欧州の歴史や文化には根本的な差があります。たとえば、欧州は貧困問題を社会の責任ととらえがちですが、米国ではそれぞれの人の努力の差という要素も大きいと考えます。

こうした考え方の違いは、犯罪や刑罰についても当てはまります。

罪を犯すのは個人の責任であり、社会のせいにすべきではない、という考え方が米国の制度の根っこにあるように思います。

州には、政治決断によって死刑制度が廃止された国もありますが。

 米国では、世論の死刑支持が高い時に、その市民の意思に反して、一部の政治家の決断で死刑を廃止することは考えにくいと思います。

米国の陪審制度は、政府は十分には信用できないので、市民が判断するとの考えから生まれた面があります。ただ、地方検事や裁判官が公選されることで、裁判が政治化してしまっている。陪審員の判断もあやふやになっており、安易な死刑判決が多く、冤罪も多く判明しています。

死刑の適用はもっと慎重、かつ厳密にする必要があります。その意味で私は、現在の米国の死刑のあり方には懐疑的です。

どの犯罪に死刑を適用するか。線引きをどうすればよいのでしょう。

 難しい点ですが、ほぼ100%間違いのない犯罪にのみ死刑を適用すべきだと思います。犯人が明らかな犯罪には死刑を適用すべきでしょう。

裁判員裁判で初の死刑判決

 制度が始まって一年半。裁判員裁判で市民が初めて死刑を選んだ。

東京・歌舞伎町のマージャン店経営者ら2人を殺害したなどとして、殺人や強盗殺人などの罪に問われた池田容之被告(32)に対して、横浜地裁は16日、求刑通り死刑を言い渡した。朝山裁判長は「犯行はあまりに残虐。更生の余地があるとも見られるが、極刑を回避する事情とは評価できない」と述べた。主文を言い渡した後、朝山裁判長は「裁判所としては被告に控訴することを勧めたい」と被告に異例の呼びかけをした。

[判決が認定した事実]

1;池田被告は共謀して、昨年2月と6月、運び屋を使ってシンガポールとベトナムから福島空港と新千歳空港に覚醒剤約8キロを運ばせ密輸した。

2;同年6月、東京・歌舞伎町のマージャン店経営者ら被害者2人をホテルに監禁して現金1340万円を奪ったうえ、命乞いをする2人の首を生きたまま電動ノコギリで切断して殺害した。

3;共犯者らと遺体を横浜市の海や山梨県の富士山中に遺棄した。

[法廷での被告]

 池田被告は淡々とした口調で、ことさら自分を不利にするような発言を繰り返した。出廷を望んだ母親には「生きながらえたくない」と断ったという。遺族の言葉や母親の手紙を聞いて涙をみせ、遺族への謝罪を口にした。判決言い渡しの後、被告は裁判官と裁判員に礼を述べ、さらに傍聴席の遺族に向かって「申し訳ございませんでした」と頭を下げた。

井上達夫・東大大学院教授(法哲学)の談話(20101116日、朝日夕刊)

「私自身は死刑廃止論者だが、現行の死刑制度と量刑相場からみると今回の死刑判決は法的には不当とは言えない判断だ。

死刑存廃問題は立法で解決されるべき課題だ。市民が死刑を選択したこの判決は国民一人ひとりが将来、裁判員として死刑の判断にかかわりうるという自覚をもって、立法課題として死刑存廃問題を直視すべきことを示している。

「裁判員制度は、国民が被告人の生死を左右する決定に自ら参与する経験を通して、司法的殺人という倫理的罪悪を埋め合わせるだけのメリットを死刑制度が本当に持つのかについて責任を持って考える契機になるだろう。

今回の事件は死刑廃止の根本的論拠を再考させる意義もある。本件では、起訴事実に争いがなく、自主や反省が戦略的動機を強くにおわせることなどを考えても、死刑廃止論がしばしば論拠とする誤判の可能性や矯正可能性を主張することは難しい。

このような場合でもなお、死刑を廃止すべきだとするなら、その根拠は次の点にある。すなわち、誰もが誰にも殺人を強制できないのとまさに同じ理由で、国民は司法的殺人という残虐な行為を自らも強制されないだけでなく、他者に強制することもできない。

裁判員制度の下で司法的殺人に加担する現実可能性を持った国民一ひとりが、

責任ある主体としてこの問題について熟議を深めることを期待したい」[]

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