信仰と美の結びつき

編集部

 日本のほとんど教会、特にプロテスタント教会は美術品とは全く無関係と言っていい位です。ところが、当ロゴス教会には、既にLOGOS4号に紹介された宮城まり子さんの壁画が会堂一階を飾っている他に、二階壁画には二十数点の美しい版画が飾られています。これらの版画は全て渡辺禎雄さんの作品です。

 渡辺さんは日本の伝統的染色技法である「型染」(江戸小紋、型付友禅、琉球紅型など)を和紙に応用し、聖書に主題をとった独特な作品を50年余りも製作している版画家です。深い信仰に基づいた作品は、現在ヨーロッパやアメリカで高い評価を受けています。ロゴス教会が目白にあった時に礼拝に出席しておられたご縁で、渡辺さんの作品がロゴス教会を飾っている次第です。この版画について渡辺さん自身が語っておられるのを以下に紹介いたします。

 「私が版画をはじめたのは、今から30年ほど前かな。(注:昭和47年現在)。当時はごく少数の人にしかみとめられなくてね、苦労しましたよ。私は版画を手がけるようになってからずっと、聖書をテーマにしたものに取り組んでいるんですが、この姿勢はこれからも変わらないでしょうね。

 日本で出されているキリスト教書に引き写される画家や彫刻家は、ほとんど西欧諸国の人が多いんですよ。ルオーとかロダンだとかね。日本人だってクリスチャンで画家や彫刻家の人は何人もいるはずなのに、聖書を正面から扱っている人は少ないから、なかなか伝統も出来にくいんです。私は日本人の国民性にぴったり合った聖書の作品があっても良いと思っているのですけれどね。

 版画に限らず、作品というものは常に主題の精神内容が表現されていなければならないわけですけど、実際にやってみると、これがそう簡単にはできないんですよ。あるとき、一人の外国人がね、私にドイツ人の彫刻家やアメリカ人の作家の作品をスライドで見せてくれたんです。そこには十字架上のキリストの絵があったり、キリストとヨハネの彫刻があったりして、確かにテーマは聖書だと思われるんですが、十字架の絵さえ描けばなんでもキリスト教かというと、私にはそうは受けとれないんです。つまり、聖書に基づいた作品というものは、たとえ芸術的な価値を認められているものであっても、それがキリスト教の信仰ととのようなかかわりをもっているかということが大事なことなので、そこにひとつのむずかしさがあると思うんです。

 それと困ったことに日本のキリスト教の世界では、あまり”美”の問題を重要に考えないんですね。特にプロテスタントの教会にその傾向があるように思えるんです。教会に行って、奉仕活動をしたり献金したりして、とにかく礼拝が守られて座れる椅子があればそれで良いんだという人が多いんですからね。みんなお金がないのかも知れないけれど、もう少し、「信仰と美の結びつき」という世界に気がつく時代が来ても良いんじゃないかなあと思うんですよ。

 私はね、この頃どうしたら自分が聖書の精神、信仰の世界において神のみ心のもとに生きることが出来るかと真剣に考えているんです。それはね、自分を全く放棄してしまって、改めて聖霊の息吹に生かされるのでなければ駄目なんですね。だから、自分は一生懸命信仰しょうとか、信仰に熱心さが足りないとか、そんなところにとどまっていたんではどうにもならない問題だとつくづく考えるようになっているんですよ。」
                                             (ろばのみみ 第68号 1972より)

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