しっかり目を見開いていないと子ども心をふみじじるあの時代がやってくる

(「LOGOS No.04」1989.7)

和田牧恵

 太平洋戦争の頃、私は幼い小学生でした。その頃の小学校は国民学校と呼ばれ、毎朝宮城と伊勢神宮を遥拝し、校長先生のお話には「キヲツケ。モッタイナクモ天皇陛下ニオカセラレマシテハ・・・」という言葉がひんぱんに使われる毎日でした。そして、私たちも、お国のために我慢をする、けなげな子どもたちでした。

 私たちの担任の先生が出産するため休みをとり、代わりにHという若い男の教師が来ました。この先生は一日中、鞭や物差しを持っての授業で、級の中のだれかのささいなことをとり上げては、級全員に対して大声で「瞑目、静座」を命じるのです。その瞑目の間に、少しでも動くと、ピシリッと鞭がとぶという状態でした。

 ある日、Hにしては静かな声で「この組のたれかクリスチャンの家の子はいるかな?」と聞いて来ました。私の両親は教会で出会った間柄ですし、私たち子どもも日曜学校へ通ったりしていましたので、本当なら私は手を挙げるところでした。でも、その時、何か不穏なものを感じて、ただ黙って下を向いていました。しばらく待ったのちHは「そうか、いないか。いたらそんな奴はスパイだからただは置かないつもりだったが・・・」とはっきりそう言いました。

 もし私が手を挙げていたらどんな仕置きが待っていたのでしょうか。やはり黙っていてよかったと思いながらも、自分にうそをついたような後めたさと、そのH教師に対する恐怖と不信の念が、幼い胸いっぱいに拡がりました。

 戦争が終ってから、学校では過去を反省し一斉に民主主義が説かれ始めました。その新しい考え方にいちいち納得し、心が弾むのを感じながら、ひとつの事柄に対して、まったく相反する見方があることを身にしみて知りました。

 後日、T神社で七五三の祝い着をつけた子どもたちに、神主装束のHが他の神官と共に神妙におはらいをしているのを見かけ、複雑な思いにとらわれました。Hは、小学校で教べんをとった日々を、どのように思っているのでしょうか。いずれにしろ、あのことは私の幼かった日の鮮明な一シーンとして、心に焼き付いているのです。

 戦争中とは言え、一教師が国家権力を背景にして、平然と子ども心を踏みつけるようなことができたあの頃は、本当に恐ろしい時代だったと思います。現在、私たちの国では、自由に考え自由に物を言うことができますが、、こういうことも、自分たちがよほどしっかり目を見開いていないと、いつ何時、侵されえる日が来ないとも限りません。

 長い間、教会とは無縁に過ごしてきた私ですが、ふとしたことからロゴス教会に通うようになり、神そして自由、平和、平等を説かれる山本先生の一言一言で目を覚まされる思いがしています。八王子の隅のこの小さな集いが、大きな力の源になりますよう、心から願う今日この頃です。

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