創立100周年 ロゴスの誕生
渡部 法雄
(’89.10・1「LOGOSNo.6」より)
1947年(昭和22年)、終戦から2年、世の中もいくらか落ちついてきたとはいえ、まだ芋飴、それもサッカリンの甘味、それでもなかなか手に入らない、闇市時代でした。「パン・パン」「Give me chocolate」「浮浪児」の時代で進駐軍の軍服姿が実に美しく映えたものでした。
戦争中は敵国語であった英語がファイブ円、テン円と値段をいえるだけでも語学手当てがでて、他人より高い給料を貰えました。
豊島区高田南町、学習院の森の南側に軍需工場だった国産電機という会社がありました。終戦と同時に機能はゼロ、従業員が飴売り等をして食いつないでおり、その中の大橋さん、戸門さんが後にロゴスの人となって力を発揮してくれました。この会社の本館を借りて旧ロゴス英語学校を開校したのが昭和22年7月1日、そして牛込矢来町福音教会の再出発の日でした。目白は昔から文化の香り高い街で、教会の数が多く地域伝道は許されない実情でした。
山本先生は学校伝道を柱に教会と学校が一体となったロゴスを誕生させたのでした。入学式でも祈祷をし、 讃美歌を歌い、十字架を真正面にしての語学教育を始めました。
学生は北から南まで、年齢も10代から60代までと幅広くこれらの人々に、山本先生はキリストを説きました。それも神を語らずして神を語ったのでした。キリストを否定する学生には共に否定し、とことん話し合いました。こうした中から多くのクリスチャン学生が誕生しました。現在、別帳会員として2千人以上の名が連なっているのは、当時受洗した学生たちです。
開校2年目にして目白の高台に新校舎を建てました。開校以来、学生が目白押し、クラスによっては募集より3日目で締め切りというような状態でした。また、ロゴスには多くの宣教師の先生方が協力者でした。Dr.メーヤー夫妻、クレーマー先生、モーク先生、アイナ先生、そして音楽大学の熊谷先生、向坊先生ご夫妻、島村先生、山田先生など祈りをもった教育ができましたのは、これらの先生方のお力であります。多くの学生たちの心の中に主の愛の花を咲かすことができたものと思います。
マッカーサーのGHQは絶対的な権力で日本全体がその手中にあり、教育顧問団を派遣、Dr.ピエール、Dr.イエールなどの教授陣たちがロゴスを訪ね、講演し、語り合うことができました。
また、昭和天皇の第一皇女、照宮様、東久邇宮妃殿下がロゴスに来られたこと、常陸宮妃殿下、華子様が学習院在学中にロゴスで学んでいらしたことからご婚約の時、取材の記者たちに取り囲まれたことも懐かしく思い出されます。
日曜日になると一つの教室が礼拝堂に早変わりというのがロゴスの常でした。今は亡き山本先生の奥様がオルガン奉仕をなさっていたことも忘れられないことです。
あの日、あの時から42年の歳月が経過しました。
主はあくまでも我々を愛し、また見守り続けてくださる。目白時代が終っても主の恵みの地、八王子が与えられたことは、感謝の極みです。