教会音楽のはなし 2
讃美歌
横山 正子 オルガニスト
つぎにルターらは、よく知られた民謡の旋律を取り入れました。有名な136番の「血しおしたたる」の旋律は、実は「わが心は狂おし」という当時流行したラブ・ソングのメロディーなのです。また、41番も「インスブルックよさようなら」という流行歌の替え歌です。
さらにルターとその後継者は、時代の要求に応じて新しい賛美歌を創作しました。バッハを含めた多くの作曲家たちがその精神と仕事とを受け継いでいます。ルターが教会音楽に求めたものを、実例を見ながら追ってみました。
このように見てみると、ルターがめざした第一の要点は、「大衆によって歌われること」だったということがよくわかります。1571年版のフランクフルト聖歌集の表紙には、「霊的な言葉を世俗的な節まわしにのせて歌っても、それが大衆によって真心から歌われるならばその音楽は聖別される」といったことが明記されています。
もちろん、当時の社会でこのような方針をつらぬくことは大変な決意と勇気を必要としました。現代に生きるわたくしたちにしても、忘年会のお座敷で歌われる演歌のメロディーで神を讃美する(しかも教会のなかで)ことはちょっと考えられません。しかし、いま未開の国の土着民に伝道しようとする人がいたら、その人はわたくしたちが歌っている讃美歌をそのまま伝えると同時に、その民族の間で最も愛唱されているメロディーにのせて、神を讃美する言葉と心を伝えることができるでしょう。
いづれにせよ、わたくしたちが讃美歌を歌うときに心にとめるべきことは明らかです。「大衆によって歌われる」ための歌なのですから、その場にいる全員で声を合わせて歌うこと。そして真心から歌うこと。
メソディストの創始者ジョン・ウエスレーも讃美歌の唱和のしかたについて、いくつかの注意点をあげています。ジョンとチャールズのウエスレー兄弟によるメソディストの讃美歌集は、明るい旋律・活発なリズム・華麗な和声を持っており、現行讃美歌にも取り上げられていますが、ジョンは「臆せず、霊的に歌う」ようにと指示し、sらに「遅くなりすぎないように」と要求しています。自分の心をこめて歌うことはもちろんですが、同時にともに讃美している人々の心とひとつになるよう唱和することが大切なのです。ひとりだけテンポが遅くなったり、自分の声に酔ってそれしか聞こえないような状態になることはいましめられています。
わたくしたちが現在使っている讃美歌集は、明治以降何度か改編を重ねて今に至ったもので、前に述べたルターの流れを汲むもののほか、アメリカ、イギリスなどひろく世界各国の讃美歌集の主な曲が集めらています。日本人の作曲したものも41曲収められています。
各曲の冒頭には、メトロノーム記号によってテンポが示されています。オルガニストがこのテンポによって弾きはじめたら、それに合わせ、オルガンも共に歌っているのだという感覚をもって讃美すること。そして、「臆せず」歌えるようになるために、教会の礼拝後などに讃美歌を大いに歌うひとときを設け、慣れ親しむようにすることなどが現在のわたくしたちに、まず望まれることではないでしょうか。