貧しさを共有する。

        飯島 隆輔伝道師

                       

           06.12.17証言 (早稲田教会伝道師)

        聖書 ルカによる福音書6:20〜30 幸いと不幸

先週は教育基本法が参議院でも可決、成立した。東大の高橋哲哉教授はこの問題について以下のように述べている。「改正基本法の成立は歴史的に大きな汚点を残すだろう。旧法は敗戦後の日本の憲法が定めた理念を教育がどう実現するかを当時の知識人が熱心に議論して成立した。だからこそ60年たった今でも普遍的で質の高いものとなっている。いじめや学力低下など現在の教育問題は基本法に問題があるから起きているわけではないのに、与党が数の論理で非常に拙速に成立させた。改正法では時の為政者がこういう教育にしたいと決めたらその意思通りに実現できる。子どもたちには愛国心の競争や幼い頃からの格差をもたらしかねない。そうなれば教育現場は荒廃し、子どもたちを絶望に追いやるだろう」(毎日新聞)。阿部首相が次に改訂しようとしているのは憲法あり、私たちは政治の動向を注意深く見守る責任がある。それはこの世界は神が作り愛されたものであり、私たち信仰者はこの世界に対して責任を持っているからである。来年は参議院選挙があり、又、都知事の選挙がある。

今日は待降節の第三主日で、三本目のろうそくに火がともされた。来週の日曜日に四番目のろうそくに火がともりクリスマスを迎える。ルカ福音書によるとヨセフとマリヤは旅をしていてベツレヘムに着いた時、マリアは臨月となり赤子が産まれることになるが、彼らには泊まる場所もお産をする場所も無かった。救い主イエスが生まれる場所、スペースがなかったということである。彼らは家畜小屋で初めての赤子を生み、布に包み飼い葉桶に寝かせた。赤ちゃんが生まれるのに、泊まる場所も生まれる場所も、寝かせるベッドもなく、救い主イエスは寒さと悪臭の中で産まれ、ベッドの代わりの飼い葉桶に寝かされた。これは貧しさの象徴である。また、イスラエルの中で最初に救い主の誕生を知らされ、お祝いに駆けつけたのは羊飼いである。この地方は昼と夜の気温の差が激しく、昼は暑く夜は冷え込み、羊飼いの仕事は厳しいきつい仕事で、野獣や強盗の危険だけでなく寒さや眠気、疲労との闘いで、三Kの仕事である。羊飼いは底辺の貧しい人たちの仕事である。救い主の誕生は貧しい、底辺の人たちである羊飼いたちに最初に知らされ、彼らは真っ先に駆けつけ救い主キリストの誕生を喜び祝い、イエスを礼拝した。ルカ福音書の記者は救い主が人々が想像もしない貧しさの中に生まれたことを語っている。イエス・キリストの誕生物語は彼の生涯を象徴するようで、イエスの生涯は産まれてから十字架上で亡くなるまで貧しい人、病気の人、悲しんでいる人たちと一緒であった。

 貧しさとは何であろうか。貧しい、貧困ということはお金を持っていない者を意味するだけでなく、より広い意味では、抑圧された者、惨めな者、誰かに従属している者、卑下された者を意味する。働かねばならない者、物乞いしなければならない者という意味もある。

私は20年前、埼玉YMCAの主事をしていた時に毎年夏休みに高校生を引率してフィリピンの青年たちと一緒にハンセン病の村でワークキャンプをした。その途中マニラ市の巨大なゴミ捨て場、スモーキーマウンテンに住んでいる人たちを通して貧困の現実を見た。彼らはマニラ市内から集まってくるゴミの中を、棒でかかき回して、何か使えそうなものを拾い集めて売っては細々と生活しており、ゴミの中から鼻を突くような強烈な臭いとゴミを燃やす煙が漂っているゴミの山、スモーキーマウンテンの上に立てられた掘っ立て小屋に住んでいた。私たちは日本から中古衣類の段ボール箱を持参して彼らに渡したが、私たちを笑顔で迎えてくれたそこの住民は、フィリピンの沢山の島々からやってきた人たちで、耕す自分の土地もなく、大地主や外国資本の農園で搾取され続けて農奴・奴隷のような生活をして、いよいよ食えなくなって大都市であるマニラに流れ着いてきた人たちであった。彼らの生活を見て一緒に行った日本の高校生たちは、物質が有り余った自分たちの日本の生活とあまりにかけ離れていることに衝撃を受けた。

世界では8億人の人が飢え、12億人の人が衛生的な水を確保出来ず、毎年1200万人の子供が5歳未満で死亡している。8億5千万人の成人が字も読めない状態である。個人も国も貧しいから、貧乏だから、お金が無いから食糧が買えない、道路や電気、上下水道などの社会的インフラが整わない、農産物を作るのに肥料が買えない、教育ができない、病院や医薬品がない、すべて貧しいからである。バングラディッシュ、ネパール、ミャンマー、北朝鮮、ラオス、カンボジア、アジアでも沢山の発展途上国が貧困を克服して豊かになろうと努力しているが、現実には貧富の差は広がるばかりであり、そのようになる国際的なシステムが出来上がっていると言われている。

「福音と世界」の12月号に大変ショッキングな記事があった。フィリピンで牧師・神父を含めて毎年200人もの人たちがテロリストに協力する者と決めつけられて政府に暗殺されているという記事であった。

フィリピンはスペインの植民地の後、アメリカの統治下にありその後独立したが、農地解放がなされず、一握りの大地主が国土の大半と富を独占し、大半の国民は非常に貧しい生活をしている。人口の90%以上がカトリックでアジアで最大のキリスト教国であるが、植民地から独立した今でも国際資本と一部の支配階級に搾取されている貧しい国である。貧困から脱却し、豊かにしようと彼らを様々な支援をし手いる牧師たちが殺戮されているとNCCフィリピン委員である渡辺英俊牧師は「自由防衛作戦という名の殺戮」と題してリポートしている。概要は以下のようである。

『ブッシュ政権は2001年の「9.11」事件以来、「対テロ戦争」を宣言し、米軍のアフガニスタンとイラクへの侵攻を正当化したが、フィリピンのアヨロ政権はこれに追随して、自分たちの武装反乱鎮圧政策を、「対テロ戦争」と再定義した。戦闘の相手はテロリストであるから、「和平」の可能性はなく、完全制圧ある。そこでは、合法的な政治活動であっても、地下で武力勢力と繋がっているとみなされれば武力攻撃の目標となり、政府批判勢力は「テロリスト」のラベルを貼られ、殺戮の対象とされ得ることになる。アヨロ政権は米国から46億ドル(約5300億円)の軍事援助と3000万ドル(約35億円))の対テロ訓練援助を受けている。もし農民や先住民が自分たちを組織して権利擁護のために闘えば、反乱者、テロリストとして非難され疑いをかけられ殺される。政府に対する批判的な活動は、ほとんどが攻撃対象とされ、殺害・脅迫が政策によって正当化されることになりフィリピン人権連合(Karapatan)の集計によるとアヨロ政権成立以後毎年沢山の人々が殺され、2001年から2004年迄は毎年約100人、2005年から2006年は毎年約200人以上が殺されている。

教会が開発によって生存権を脅かされる地域住民の生活を自らの責任で受け止め、それを守ろうすることは信仰的良心の問題であるが、そういう考えをもっている牧師、神父、信徒は攻撃対象とされ殺害される。農民たちと貧しさを共にしていた牧師が新人民軍(NPA)と関わりがあると疑われるか、或いはそれを口実にして殺されるのはアヨロ政権の「対テロ戦争」戦略がバックにあるからである。

これは、単に「政治的問題」なのではない。単に「社会的問題」なのでもない。フィリピンの教会は殉教の血を流しながら闘っているのである。そこでは、教会であること、キリスト者であること、牧師であることは、民衆の生活を守ることと切り離せない。国際資本の利益のために行われる現政権の「開発」政策により、人々の生活が破壊されることに対する闘いにならざるを得ない。そこでは、信仰は「共産勢力」や「テロリスト」と繋がっているという口実による弾圧を恐れて引っ込むことはできない。信仰は闘いと直結しており、そこで殉教の血が流されているのである。「殉教」というのは、初代教会やキリシタンの時代の古い話、あるいはせいぜいボンフェファーやマルティン・ルーサー・キングまでの話…と私たちは思いがちだが、フィリピンでは今それが現実に起こっている。しかもそれは、私たちが結ばれている同じ信仰の絆のすぐ隣で起こっており、私たちもその原因を作っているのである。日本の教会はこれをどう受けとめるだろうか。浪費生活で麻酔をかけられた信仰的感性をもう一度呼び覚ます必要があるのではないだろうか。』マタイ福音書の25章においてイエスキリストはこう言っている。

「お前たちは、私が飢えているときに食べさせ、のどが渇いているときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞ってくれた。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことである。私たちは物質的にも精神的にも貧しいことは悪い事、克服すべき事だと思う。

健康な生活をし、教育をうけ、与えられた才能能力を発揮するためには金銭的にも精神的にも豊かでなければならない。豊かになりたいために勉強し、働き、精進し、また社会が豊かになるために税金を払い、法律を守っている。また、私たちは教会を通し、地域社会を通して個人的にも貧しい隣人のために寄付をしたり支援したりするが、それは誰もが心身共に健康で豊かになることを願うからである。貧しいことは衣食住が安定しないことであり、生存が脅かされたり必要な医療や教育が受けられないことでもある。先ず生存の条件である衣食住と安全が確保されるこ、平和が必要である。貧しさ、貧困は悲しいこと、克服されるべきこと、悪である。豊かになることによって、衣食住が満たされ、衛生的な生活が出来、医療や社会保障が受けられる。豊かになって始めて教育が受けられ、それぞれの能力が発揮されて精神的にも豊かな生活が出来る。フィリピンの牧師、神父たちはイエスキリストのこの言葉に生かされ、貧しい隣人に仕えることは神に仕えることであり、隣人たちの貧しさを一緒に背負って、その貧しさから抜け出すための様々な努力を共にする訳であるが、そういう人たちをアヨロ政権はテロに協力する者という口実をつけて毎年200人以上の人が抹殺・暗殺している。その原因はブッシュ政権の対テロ作戦であり、またアヨロ政権の政策である。日本の小泉・阿部政権もブッシュ政権の政策を全面的に支持し、様々な政府開発援助という名目でアヨロ政権に対して巨額な援助をしアヨロ大統領を応援している。テロ撲滅という大義名分で毎年200人以上もの方が殺害されているということは、他国の内政問題、社会問題として片付けられない問題である。渡辺牧師はこの問題を「現代の殉教」であり、私たちの信仰の問題であると訴えている。

私たちは、クリスマスのこの時に平和の主である救い主キリストを迎え、主イエスキリストが貧しい人、弱い小さい人々の中にあって、貧しさ苦しさ悩みを共に負って下さっていることを信仰によって確信し、また彼らと共にその貧しさ苦しさを共に負いたいと思う。

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