讃美の歌を

マルコによる福音書 14章 22節―26節(2011.7.31証言)

土屋 明彦

漠然とではありますが、オルガンづくりということを将来の夢として考え始めたのは高校時代です。父親が気まぐれに、百科事典の「お」のあたりの巻がばら売りされていたのを買ってきてくれました。そのたった1冊のばら売り百科事典、「お」の巻をむさぼるように読んだお蔭で、「お」で始まる言葉に限定して詳しいというかなり偏った知識を吸収していました。「お」の巻でよかったと思うのは、そこに「音楽」という項目と「オルガン」という項目が含まれていたことです。グレゴリオ聖歌の楽譜や古代ギリシアの水オルガン以来の古い音楽、楽器に関する記述や図版があり、パイプオルガンの構造も詳しく知ることができました。専門的な用語や内容を含めた学習にこそ好奇心はかきたてられ、夢中になれるのかもしれません。山裾のつまらないところをぐちゃぐちゃ歩かされている感じというものがつきまとって、学校の授業というものがどうにも好きになれませんでした。教師の話は上の空、ノートや教科書の余白に将来のオルガンの設計プランを描きまくっていた、というのは作り話ではありません。

大学生となり、ガールフレンドと目黒の聖パウロ教会にオルガンの演奏を聴きに行ったことがあります。ガラスを多用したモダンな建物に白いイタリアバロック様式のオルガンが映えていました。レコ−ドでもなく、音楽ホールのオルガンでもない、教会オルガンの生き生きした響きが会堂を満たす実感に包まれて、自然な感動が湧いてきました。演奏後、思わず楽器の前にかけ寄った時のことも忘れられません。まぶしいような思いとともに、パイプの連なる姿と鍵盤の周囲の様子を細かく観察していました。少しがっかりしたのは、鍵盤の上に置かれた札に「楽器に触れないでください」と書いてあったことです。「なんだよ、これ」、眼が合った彼女に、私はその時思わず宣言してしまいました。「どこかの教会で、いつかきっと、俺が作るよ。」誰でも触れることのできるパイプオルガンを創りたいという気持ちはその日の経験以来のものです。

それから40年がたちました。宿題となっていた宣言を実行すべく、おしかけオルガンビルダーとして、試行錯誤しながら製作に取り組む中で、讃美歌の起源について理解を深める必要を痛感しました。キリスト教会と音楽の関係の深さにということについて、御一緒に再確認してみたいと思います。

 もっとも古い讃美歌は、紀元前13世紀の出来事とされる「出エジプト記」(15章)に描かれています。モーセと人々による「海の歌」が合唱の輪として広がって行く様が目に浮かびます。神を讃美し、救いの御わざへの感謝が捧げられています。ミリアムという女性のタンバリンと踊りも続きました。楽器が鳴らされ、踊りも加わって、エネルギッシュな讃美歌が歌われたことでしょう。

「詩編」には古代の人々の祈りの歌がまとめられています。その最後150番には、コーロ(合唱)と共に、古代の楽器の名前がたくさん出てきます。中世からルネサンスのイタリア、北方ルネサンスのフランドルの祭壇画の中で羽のはえた天使たちが奏でている楽器はこれらを基にして描かれています。クランゴーネ(竪琴)、プサルテリオ(手持ちの琴)、キターラ(ギター)、ティンパーノ(片張りの太鼓)、オルガーノ(水オルガン)、シンバリス(シンバル)と具体的な楽器名が列挙されています。楽器好きにはたまらない一節です。「詩編」の歌は、楽譜に残されることもなく歌詞だけが伝わっているので、実際の具体的な旋律、和音、リズムに関する復元考証は想像するしかありません。「息あるものはこぞって 主を讃美せよ アレルヤ」という結びの言葉はこの150番詩編のみならず、「詩編」全体を締めくくるまとめの言葉でもあります。そして、教会での讃美、ということの意味をもっとも端的に示し、意義づけている言葉でもあると思います。

「アーメン」(まことに)という言葉の由来についても言えることですが、ハレルヤ、サンクトゥスなど、宗教音楽でおなじみの言葉の起源が旧約時代から受け継がれていることも忘れてはなりません。聖グレゴリウスをはじめとする多くの作曲家が「讃歌」の中で使われた言葉をさまざまな音楽へと昇華させました。バッハのマタイ受難曲、ヘンデルのメサイア、モーツアルトのアベベルムコルブス等の名曲は、まさに人類の至宝と言えます。宗教曲にとどまらず、多くの音楽というものが、教会音楽の歴史によって育まれた豊かな音楽語法という基礎となる土台によって多大な恩恵を受けていることは間違いありません。詩編の言葉にどのような音楽をまとわせるか、という作曲家の絶えざる工夫と競いあいが音楽の土台を築き、発展させたということはもっと知られてよいのではないかと考えます。

今日の聖書朗読の個所ですが、イエスと弟子達の最後の晩餐となったその日はモーセに導かれたユダヤ人がエジプトでの苦難から解放されたことを祝い、子羊を屠る過越祭という祭りの日でした。パンを裂き、葡萄酒を分かち合いながら、御自身に迫る十字架の苦難を予告します。プロテスタントでの聖餐式、カトリックでのミサがここに由来する、とても重要な場面です。マルコ伝とマタイ伝の記述はほとんど同じですが、マタイ伝には「罪が赦されるために」という言葉が加わります。犠牲の子羊としてご自身を捧げられる決意が述べられます。

パンと葡萄酒に象徴されるキリストの死と復活、犠牲による救済が語られました。しかし、弟子たちのその言葉への反応については何も伝えられておりません。ルカ伝によると、弟子たちは一番偉い弟子は誰かというような頓珍漢な議論を始めたとか。一番肝心な場面で、一番肝心な言葉が届かなかったわけです。イエスの孤独が際立つ場面です。

そして、晩餐のしめくくりに「讃美の歌」が歌われました。イエスも共に歌いました。特別なことではなく、普段の習慣どおりに、という描き方だと思われます。

「使徒言行録」16−25では、獄中で讃美の歌を歌うパウロとシラスについて語られています。弟子たちと共に歌ったイエスキリストの記憶が鮮明だった初期教会での祈りにおいても「讃美の歌」の唱和は大切に守られ、今日の礼拝に至るまで受け継がれることになったのだと思います。

『聖書』のしめくくりに位置する「ヨハネの黙示録」の15章、3−4でも「讃美の歌」が再現されます。ここには「モーセの歌」と「子羊の歌」という二つの讃歌の名前があげられています。「子羊」が世の罪のためにご自身を捧げられたイエスを指すことは言うまでもありません。ローマ帝国による弾圧と殉教の嵐が吹きすさぶ苦難の時代。ヨハネという人が得た神からの啓示は彼一人のものではありません。カタコンベという地下墓地に身を寄せて、信仰の勝利に対する確信を初期のキリスト教徒達は「モーセの歌」と「子羊の歌」に込め、共有したのだと思います。苦難にある人々の切実な思いが「歌」を創り、「歌」を求めるという本質によって、時を超えてつながり、その重なりによってさらに意味が深められてゆくという典型的な場面だと思います。旧約聖書と新約聖書の連続性と深化というものが、ここにもはっきり示されていることがわかります。

ともかく、「歌(音楽)」とキリスト教は密接な関係で結ばれており、そのことは何よりも明確に『聖書』によって証しされています。私達が礼拝において讃美歌を歌うのも、こうしたことに基づいているということを再確認し、継承してゆきたいと思います。

  ロシア正教の礼拝のように、人間の声以外の楽器使用を一つの欲望と捉え、禁止する考え方もありますし、自由を標榜したルネサンスのフィレンツェでさえサボナローラによるオルガン打ちこわしという悲しむべき楽器排斥運動が起きたりもしましたが、教会音楽の中核を成したのが、パイプオルガンという楽器であることは言うまでもありません。ロゴスオルガンの正面デザインのお手本として、現役最古の演奏可能なゴシック様式のオルガンを選びました。まさにオルガンの原型です。スイスのシオンという、レマン湖の東にある田舎町のヴァレリア城に残されたオルガンです。1437年頃創建。1687年の修復を経て今の姿となりました。五百年を経た笛の音色と姿はユーチューブでも味わうことができますよ。その透明感のある溌剌たる響きに触れてみてください。すばらしい楽器だからこそ、原型からさほど逸れることなく、保存されるという奇跡がもたらされたのだと思います。二十年前、オルガン研究会の会報で見た写真に一目ぼれしました。パイプとメカニック、オルガンケースについての詳細なデータを入手し、現地も訪ねました。その時聴いた生の響きは今でもしっかり記憶しています。それらを踏まえた設計によって製作いたします。

一段鍵盤ですがバッハのオルガン曲も弾けるように、4オクターブと上のレまでの音域とし、足鍵盤の音域も2オクターブと中央のレまで拡げます。5種類の音色を組み合わせる予定です。

2階バルコニーに設置します。ケースと木管パイプには、今や入手困難となった北海道産のナラ(オーク)を使います。最適の材料とされている木です。以前の勤務先で生徒用下駄箱として使われ廃棄処分となった材木を譲ってもらいました。手間はかかりますが、最高のリサイクルとなるのではないでしょうか。メタルパイプはスズ20%、鉛78%、不純物2%という組成の特注シートによって製作します。不純物を意識的に加えることで、古いオルガンパイプの深い響きに近づくことができるのではないか、と思っています。パイプ製作は草苅徹夫氏の指導をいただくことができました。中野姉のお父上が使っておられた思い出の詰まった鉛の活字も笛の一部となります。すべて一からの手作りの無謀なオルガンづくりですが、果敢に挑戦してゆくつもりです。時間をたっぷりかけて、レンガを一つづつ積み上げてゆくようなペースとならざるを得ないことにご理解を願います。

こうした夢を実現しつつあるのも、ロゴス教会ならではの自由闊達な空気の賜物と考えます。原兄と原建設のご支援によって、構築物としての安全性が確立しますし、木工作業の精度をあげることができ、有難く感謝しております。思い出しますに教会に通い始めた頃、今は天国におられる松本兄からは、いちはやくオルガンづくりへの熱烈な励ましと示唆をいただきました。飯沢牧師と松本姉とともに千葉の館山までイタリア様式のオルガン見学にでかけたこともありました。真野兄姉ご夫妻をとおしてスイスシオンのオルガン修復家を紹介されていたお蔭で、現地訪問の折、特別に演奏台と内部の見学が可能となりました。それぞれの経験がおおいに勉強になりました。ロゴス教会より数年前受領いたしましたオルガン献金は、ドイツ製のオルガン専用の送風機購入に充当させていただきました。北川兄のお計らいで、隣の教会の会員横山兄という方を紹介していただき、秋にはオルガン製作者マルクガルニエ氏の助言を仰ぎたいと切望しております。教会員ではありませんが、丸山さんというオルガンづくりの友人がおります。彼から多大な力添えをいただいているということも知っておいていただきたいと思います。  230本のパイプが奏でる風の歌。御期待あれ。

topへ