「礼拝証言から・・・」
渡邊 信
2012,
5/27
ジョージギッシュ牧師
「共におられる霊」
基督教会の成立時期は様々に考えられる。一般には、使徒言行録2章に拠って、聖霊降臨日が定められている。
しかし、たとえば、十字架の後、使徒達の集まりが教会の成立とも見なせるし、また、基督のヨハネによる受洗とも言えるかも知れない。
いずれにせよ、聖霊の働きなくして教会の成立は語ることができない。
エゼキエル書の預言(36章26-27)
わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
ヨハネによる福音書14章17節
この方は、真理の霊である。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
ルカの福音書に拠れば、受洗の後、基督はまず、荒れ野で霊と共に試練に遭われた。
信仰が、祝福や幸福にすぐに結びつくと考えるのは危険である。あなたが新たにされた後でも、聖霊と共に、試練の中にあって、基督を思い、静かな祈りのときを持つべきである。
2012,
6/10
土橋晃牧師
「もう一人の息子」
ルカ福音書15:25-32
放蕩息子の兄の話。律法主義者の試みに応えての応答。
この兄の姿は、律法主義者の比喩のようにみえる。
いいつけをことごとく守り、常に正しくあり、正しいことだけを主張する。これが、家にも入らないほど憤慨して、放蕩の弟を非難する根拠となる。
しかし、神にとっては兄弟どちらもその愛の対象である。許しの愛を知らない兄は諭される。
基督者も神の民としておごることなく、こころの弱い人にも想いをいたすべきかもしれない。
2012,
6/24
ジョージギッシュ牧師
「"平和の都"を求めつつ」
沖縄戦の追悼。米兵、日本兵、一般の沖縄市民など多数の人々が亡くなった。
大戦は終わったが、いまだ多くの戦争が続いている。そしてまた、これからも戦争は続くのだろう。イエスの終わりの日の預言。
平和への道はあるのか?
争いの時代の預言。ミカ書4:3「主は多くの民の争いを裁きはるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。
」
イエスの時代のエルサレム神殿は、律法による大義の神殿となっていた。現代の律法は、大義の名の下に死ぬ教育=国/組織のための死は尊い。
イエスは、平和のない聖地を嘆く。ルカ19:41-42、マタイ23:37-24:1-2。
生きるためにイエスの福音。生きるための命の教育。
争いを終わらせるのは、争うこころをなくすこと。心の中の武器を、平和の鋤と鎌とすること。
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