平和を作り出す人

06.09.17(証言)


  


飯島隆輔 伝道師 (早稲田教会伝道師) 

聖書 マタイによる福音書 25章31〜46節

          (すべての民族を裁く)  

 この箇所は31−33節と34−46節の別々の話が合わさって出来ており、31−33節は人の子の終末の到来と裁きに述べられている。そして、著者は人の子の裁きを羊飼いの行為に喩えて語っている。34節。王様は国民を集めて、羊と山羊を分けるように右と左に分け右側の人たちに言う。

「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を引き継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えているときに食べさせ、のどが乾いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」すると、正しい人たちが王に答える。「主よ、いつ私たちは、飢えていることを見て食べ物を差しあげ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしているのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられるのを見て、お尋ねしたでしょうか。」そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

この聖書の箇所は貧しい人、弱い人に対する愛の行為を褒め称えており、愛の行為を行う人たちは全く無償で行うのであり、見返りを期待しての行為ではない。また、終末の時に「永遠のいのち」を得ようとしてそのようにしたのではない。

「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」とはイエスの弟子、キリスト者に限定せずに、文字通りにそのまま「飢えた者、のどが渇いた者、宿のないもの、裸の者、病気の者」と理解してきた。特この聖書の箇所はに教会の奉仕の業、キリスト教会の社会事業の根拠をしめす聖書であり、教会はこの聖書の箇所を根拠にして初代の教会の時代から中世、近世、現代に至るまで様々な隣人に対する奉仕の業を成し遂げてきた。その内容は古典的な「憐れみの業」といわれるものである。 @ 飢えていたときに食べさせ

 A のどが渇いていた時に飲ませ、

 B 旅をしていたときに宿を貸し

 C 裸の時に着せ

 D 病気のときに見舞い

 E 牢にいたときに尋ねてくれた今の時代は日本や先進国は飽食の時代で、食べ過ぎることによる肥満、糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病が多く、最近は内蔵に脂肪が付くメタポリック症候群が問題になっている。 

飽食の時代は日本では最近のことで、30年くらい前までは空腹の時代であったのではないか。ましてイエスの時代、ユダヤの国は植民地でしたから一般民衆は貧しく、いつも空腹であり、イエスの所の集まってきた民衆はみな貧しく、いつも空腹で、食べることは毎日の切実な問題であったと思われる。

現代の日本は飽食の時代でもあるが、一方世界の8億人は飢餓の状態にあるといわれている。主の祈りで「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という祈りは8億人の人々にとって今でも切実な祈りではなかろうか。水の問題も深刻で、パレスチナのような乾いた砂漠のような土地では毎日の飲み水の確保も大変な問題だった。イエスの時代に旅をすることは危険と苦労を伴う大変なことだった。また、今のように豊富な衣類は無かった時代で、イスラエル地方は昼夜の気温の差が激しい土地で旅をするときはブランケット代わりにガウンの様な着物を1枚持っていった。

当時の病気の治療は民間療法だけで、病気は死の危険性も多分にあったと思われる。キリスト教に限らず宗教家はよく捕らえられて牢屋にいれられたようで、このことをふまえてイエスは弟子たちに宣教に行くときに言われた言葉であった。マタイによる福音書25章31節〜40節の「最も小さい兄弟たちについての言葉」は教会の隣人への奉仕事業の根拠であり、確信であった。キリスト教会は初代教会から今日の教会まで、飢えている人、病気の人、老人や障害者など社会的な弱者に様々な奉仕、愛のわざ、慈善事業をしてきた。教会は奉仕の対象を教会員、キリスト者に限るということはなく、また余裕のある人が困っている人に何かを与えると言うものでもない。教会は生活困窮者、社会的弱者と共にいる、そのすぐ側に立っている、その人と共に生きるという、そういう生き方、在り方を教会の本質としてしてきたのではないか。初代の教会がローマ帝国やユダヤ教から激しい迫害に会いながらも急激に信徒が増えてローマ中に広がり、ついにはローマ帝国の国教にまでなったのはこの教会の本質から出たのではないか。キリスト教会の奉仕、愛の業は中世の教会も近世になっても続いており、今私たちが恩恵をうけている相互扶助の考え方に基づくいろいろな制度、たとえば医療保険、失業保険、火災保険などの保険制度や年金制度などの相互扶助の考え方、助け合いの精神は、イエスの教えから出て初代教会、中世の教会に引き継がれ、社会保障制度或いは保険制度という形で現代に生きている訳である。

同じキリスト教でありながら、私たちはカトリック教会の情報もなく、積極的な交流もなく余り知らない。カトリック教会はプロテスタント教会よりもずっと多く、奉仕事業をやっているようで日本ではカリタス・ジャパンという組織を作り、カトリック教会の全組織をあげて貧困の問題、弱者の問題、平和の問題にとり組み、緊急支援の募金から、救援活動、募金、高齢者・障害者施設などを全国に作って展開している。

ラテンアメリカの人口の9割以上はキリスト教徒であり、殆どがカトリック信徒で、カトリック信徒は人口の8割以上を占めている。ブラジルだけでも1億3000万人のカトリック信者がおり、社会のあらゆる側面、特に政治、経済がカトリック教会の影響を受けている。

1950年代にブラジルを中心にカトリック教会のもとで誕生し、世界のキリスト教会に大きな影響を与えた「キリスト教基礎共同体」と呼ばれる社会運動がある。キリスト教基礎共同体は、社会で抑圧された人々が、自分たちの生活する現実の社会を正確に把握しようとして、自らが地元に創った教会で、「貧者の教会」ともよばれた。多くのラテンアメリカの国は軍事政権下で不正と抑圧的な状況の中に、本当に貧しい生活をしており、8割の人々が貧しい暮らしをし、数%の人が豊かな暮らしをしており、アメリカやヨーロッパの、或いはユダヤの巨大な産業資本が軍事政権、独裁政権などと手を組んで民衆を搾取してきたといわれている。多くの人々はこのキリスト教基礎共同体を土台にして、隣近所のもの同士が集まり、聖書を読みながら、信仰を日常生活に結びつけて、現実の問題解決のために団結して行動した。犠牲を強いられている人々にとって、同じ状況に身を置き、「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、囚われている人に開放を
目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。 (ルカ4:18)

このイエスの言葉を改めて発見し、福音を現実の生活に根ざして正確に読み取ることは大きな力になった。このキリスト教基礎共同体はラテンアメリカだけではなく教会全体にとって重要な社会運動になっていった。キリスト教基礎共同体の基礎理論となり、大きな影響を与えたのが「解放の神学」という新しい神学思想である。

解放の神学とは1960年台後半以降に、抑圧されてきた民衆の解放を求める運動が高まり、その運動に多くのキリスト者も参加したが、そこから解放の神学という新しい神学が生まれた。それは、キリスト教の福音の本質を、社会的状況を捨象して把握するのではなく、聖書の預言者やイエスらの言動に照らして、抑圧され苦難を受けている人々のコンテキスト「歴史的社会的文化的現実」から捉え直し、そうした現実からの「解放」として理解しようとする現代神学の動向である。

ラテンアメリカ諸国では殆ど例外なく貧富の差が著しく、その大部分の富を数%の人々が占有しており、その主な理由は「先進国」の経済的隷属構造の下に置かれているからである。解放の神学の課題は第三世界における経済的貧困、政治的抑圧からの民衆の解放である。

G・グティエレスという解放の神学者でカトリックの司祭は、「神への愛は隣人への愛の中でだけ表現されるから、隣人への行為を抜きにして、神に至る道は存在しない。従って信仰とは貧しい者たちに味方することである。貧しい者たちの側に立つことは、拷問台にかけられている者たちやスラムに住む者たち、見下げられた者たちや侮蔑された者たち、苦しめられている者たちや辱められている者たち、そうした者たちにキリストの似姿を見ることである。」と言っている。

解放の神学者たちにとってマタイ25:31ー46は倫理の基本テキストであるのではなく、教会とは何か、キリストとは誰かと論ずる時の基本テキストである。 

日本は戦後61年間戦争はなかったがこの61年間、日本は平和だっただろうか。日本人が戦争によって人を殺すことも殺されることもなかった。しかし世界では朝鮮戦争、ベトナム戦争があり、湾岸戦争があった。日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争では特需で大儲けをし、イラク戦争ではアメリカに荷担した。その間、アメリカは中東や中米で武力行使し、ソ連はチェコ、ハンガリー、アフガニスタンで軍事攻勢をかけた。冷戦後ボスニヤ、ヘルツェゴビナなど、その他各地で民族紛争、内戦があり、多くの市民が戦闘に巻き込まれ、負傷し難民となった。

国連の統計によると1946年〜2001年の間に225件の戦争或いは武力紛争が起こり、1946年〜1992年の間に死者が2300万人いた。この期間の死者の内、非戦闘員が多く、モザンビークやスーダンでは90%が非戦闘員で、大部分は子どもと女性である。20世紀の最後の10年間で200万人以上の子どもが殺され、600万人以上の子どもが重傷か回復不能の障害を負った。戦争や武力行使を止めることは平和を作り出すことである。

平和を作り出す人は誰か

戦争や紛争の時なら、それを止めさせる軍人や政治家や外交官が平和を作り出す人であるが、平和というものが「人間の生命や人間らしさが保証されること」である場合は平和を作り出す人とは「人権侵害を正すために活動している人」である。平和を作り出す人とは戦争の犠牲者を保護する人たち、難民を助ける人たち、飢えや病気に苦しむ子供たちを援助する人たち、政治犯の釈放を求める人たちなどである。問題にしている「平和」が国家間の平和であるか、人間の平和であるかによって、それを作り出す主体は様々にかわる。  

戦争さえなければそれで平和だろうか。平和とは戦争の無いことか。戦争の無いことは平和であることの必要条件であるが充分条件ではない。

多くの人々が極度の貧困にさいなまれ、飢えに苦しんでいるような社会は平和な社会とはいえない。人種や性による差別が根強く残り、女児の就学率が男児のそれよりも著しく低い社会、或いは字が読めないばかりに十分な社会参加が出来ず、自分たちが不利益を被っていることさえ気づかない人が沢山いる社会は平和だろうか。

ノルウェーのヨハン・ガルトゥンクという学者が「構造的暴力」と名付けた言葉がある。

「直接的暴力」とは人を殴ったり殺したりする種類の暴力を言い、それに対比して「構造的暴力」とは誰かが誰かを殴ったり殺したりする意味の暴力ではないが、自ら望んだわけではない不利益を被ることは暴力であり「構造的暴力」であると言っている。

一つの社会の中で、一方には巨額の富を占め、飽食している人がいる。もう一方にはいくら働いても十分な収入が得られず、或いは職さえも得られず、十分な食料さえ得られない人がおり、それが当人たちの能力ややる気の問題ではなく、富の配分の仕組みが不適切であることの結果であるとしたなら、また、特定の人種や性が原因でなかば自動的に貧困や飢餓の中に閉じこめられているとしたら……それは社会構造が原因で生み出されている暴力と呼ぶほかないのではないか。富める人々が貧しい人々を殴りつけて飢えさせているのではなく、従って加害者は特定出来ないが、社会構造の被害者はいるという意味での「暴力」なのではないか。                        

                 新しい平和観

この構造的暴力論は、それまでは「戦争のないこと」が「平和」だとされていたのに対し、戦争がなくとも「平和ならざる状態」はあるという視点を理論化するもので、その背後には、平和とは何よりも社会正義の問題なのではないか、人間が自分の責任によらないところで差別され、排除され、悲しみ、傷つくのは平和とは言えないのではないか、という問題意識がある。

国連開発計画は「今日、人間が安全でないと感じる原因は、世界の破滅に対する恐怖感よりも、日々の生活に関わる不安の方が大きい」という考え方に立って編纂されている。

日々の生活に関わる不安とは職や収入や健康が安定しているか、環境は安全か、犯罪は多くないか、といった事柄である。安全であり平和であることは子供が5歳にも満たずに死なないことであり、病気が蔓延しないことであり、人々が職を失わないことであり、民族間の緊張が暴力に発展しないことであり、病気が蔓延しないことであり、武器だけでなく人間の尊厳に関心を払うことである。         

世界で8億人の人が飢え、12億人の人が衛生的な水を確保出来ず、毎年1200万人の子供が5歳未満で死亡。8億5千万人の成人が字も読めない状態である。今日、人間が安全でないと感じる原因は世界の破滅に対する恐怖心よりも、日々の生活に関わる不安の方が大きいと国連は言っている。

@すべての人が基礎教育を受けるのに    50〜60億ドル

A5歳未満の子どもの死亡率を下げるのに  50〜70億ドル

1994年の世界の軍事支出は8000億ドルであるから、世界の軍備費のたった1.5%を削減し、それを回すだけで世界中のすべての人が基礎教育を受けられるようになり、5歳未満の子どもの死亡率を下げることが出来るが、残念ながら実際に実現することはない。

平和を実現するために戦争や戦闘が起きないように予防し、起こった場合は止めさせなければならないが、日々の生活の中で抱えている不安、心配を取り除くことも平和を作り出す重要なことである。それは日々の生活の中での様々な不安、職や収入や健康が安定しているか、環境は安全か、犯罪は多くないかといった事柄を検証し、そのような日常の不安を無くす努力、不安を作らない努力をしていくことである。そして貧困や困難に直面している人に対しては、側に立って、向き合って対応する。そのような人も平和を作り出す人である。

飢えに苦しむ人、貧困のひと、病に苦しんでいる人、迫害されているいる人、そういう人の中にイエスキリストは立っておられる。

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