神のみ手にある未来
ヨセフ物語(3)

創世記41:25〜46
07.8.19

飯沢 忠牧師

わたしの証言で「ヨセフの生涯」について学んでいる。

ヨセフの特徴は先にも学んだように「夢を見る人」であった。今日の言葉で言えば、「理想を持っている人」であります。ヨセフは理想の人であるばかりでなく「実行の人」であった。「夢を見ない民は古び、夢を実行しない民は滅びる」と言われる。黒人のキング牧師は「I HAVE A DREAM」という有名な詩を作りました。その詩はご存知のように「黒人の子供たちがある日、白人の子供たちと手をつないでいる夢を見る」という詩であります。

人種差別のなかで虐げられ、苦しめられている黒人にいつの日か人種差別がなくなる日を夢見るという詩であります。キング牧師はその働きを認められノーベル平和賞を与えられた。そしてその後、暗殺されました。

今日、アメリカへ行くと黒人と白人の若いカップルが手をつないで仲良く歩いている微笑ましい姿を目にします。キング牧師の夢は今日、実現しています。わたしたちも大きな夢を抱き、それを実現させる者でありたいものです。

 ヨセフは奴隷として買われているポティファルの妻の誘惑を断ったために、彼女の狂言によって獄中生活を余儀なくされた。その牢獄にパロ王の役人二人は囚人としてつながれていた。ある時、この二人は夢を見た。ヨセフは彼らの夢を解いてやります。その夢の意味するものは、一人は処刑され、もう一人は赦されるというものでした。彼らは出獄し王宮にもどったが、二人の運命はそのとおりになった。もしわたしが解いた夢がそのとおりになったら、わたしのことを覚えて、わたしも出獄できるようにパロ王に取り計らってほしいと頼んだ。

 ヨセフはわたしは獄に入れられるような罪を犯していないのです、と語った。出獄した役人は自由の身となるとヨセフから受けた恩恵を忘れて、その恩に報いることをせずにいた。ヨセフは彼らが出獄した後、2年獄中生活を続けることになる。彼は通算13年牢獄の鎖につながれていました。
 (41:1)に「二年の後」とあります。この二年後とは苦難には終わりがあるということを聖書は力強く語っている。
 筋ジストロフィーという不治の病にかかった西川正一君の詩に「終着駅は天国という名の駅」というのがあります。「長いトンネルがありまして 短いトンネルがありまして 北の国を通りぬけ 野をこえ 山をこえ 終着駅は天国という名の駅 到着時刻はもう間近 忘れ物を残さぬよう 今日も一日 わたしは励む 残された私の仕事に」 正一君は幼稚園の頃に担任の先生から正一君の動きが少しおかしいといわれ病院に行き、この病気は20歳くらいまでしか生きられないと告げられます。クリスチャンの両親は正一君の看病をし、正一君が年頃になった頃、お父さんと一緒にお風呂に入った時、「お父さん、僕の本当の病名を言ってくれよ」と言われ、そのことを告げる。父は正一君の背中にお湯をかけ「正一、頑張れよ」と励ましました。それから正一君は今まで以上に前向きに意欲的に生きるのであります。

正一君の書いた「たとえ 僕に明日はなくとも」という詩集はどんなに多くの人を励ましたか知れません。

 わたしたちは「二年後」に牢獄から出されるヨセフの中に神が共にいまし給うのを見る。
 使徒パウロは「今の苦しみは、やがて受ける栄光にくらべるならばとるに足りない」と言っています。
ヨセフの神はわたしたちの神です。ヨセフを暗き中から導き出された神は今もわたしたちを光へ導き給う神でありあります。それ故、わたしたちは望みを失わないのです。

 さて、パウロが不思議な夢を見て誰もその夢を解くことができないでいた時、出獄した役人は、この時ヨセフのことを思い出した。そしてヨセフは王のもとに呼び出された。ヨセフは王の夢を解きました。7頭の肥えた雌牛と7つの実った穂とはこれから起こる7年の豊作である。次に見た夢の7頭の醜いやせ細った雌牛とやせた7つの穂とはその後起こる7年の凶作を意味している。これを聞いたパロ王は、ヨセフに7年の豊作のうちに取れた作物を蓄え、凶作のために備えよと命じた。(41:38〜40)
 ヨセフは何によってパロの夢を解くことができたのか、それは神の霊の働きによる。聖霊は信仰によらなければ与えられない。ヨセフは日頃から神が造り給うた世界の行く末をよく見、祈りのうちに深い思索をしていた。それ故、パロ王が見た夢の話を聞いた時、その夢が何を意味しているか、分かったのである。

 この世は好景気のあとに不景気がくるものである。箴言に「神は幸いの日と禍の日を等しく造られた」とあります。主イエスも「時の徴」について語っている。時の徴は神の愛の警告である。神は今日の人間にどうようなサイン、警告を送っているか。歴史の未来を予知する秘訣は人の心の中を知る秘訣と同じである。それを深い愛と同情によって物事を見なければならない。
 単に人を責め、人を裁き、ののしる目をもって見ることはできない。神が独り子を賜ったほどにこの世を愛し救い給うたその神の愛に根ざして、物事とそこに生きている人間を見なければなりません。

 わたしたちは数日前に8月15日、敗戦記念日を迎えました。わたしたちは8月15日というこの時点に立って、過去と現在とそれから、これからの時代、未来を展望してそこに何を見、何を考えるか。
 今の日本の現状はどうか。政治、経済、教育その他様々な日本が今抱えている問題の意味するものは何か。そして世界の現状はどうか。わたしはこのような時代のなかでどのように生きなければならないのか。
 今朝のみ言に照らして考えるならば、7年の豊作の後に7年の凶作がおとづれる。このみ言の今日的意味は何か。戦争体験者も戦争を知らない人も厳かな思いをもって主イエスの仰せになる「時の徴」を見て行動する人でありたい。 山上の教えである「平和を実現する人」でありたい。

TOPへ