「信仰による救い」

ルカ8:40−56

08.2.10

飯沢忠牧師

(田園調布教会協力牧師)

私たちを苦しめて絶望的な状態に追いやるものに重い病と死の問題があります。

 今朝のみ言はそのような暗い夜のような中にある者に、神様の救いの光が輝き出るという話であります。今朝のみ言は12年間も病気で苦しんでいた女性と死んだ娘が甦るという話であります。12年間にわたって多くの医者をたずねて治療にあたった女性はお金も使い果たし、病気が治るという期待を何度も裏切られてきました。しかしこの女性はこのような苦しみにも絶望しないで、つぶれそうでつぶれない、望みを失いそうで失わないというしぶとい信仰をもっていたのであります。

 多くの人は自分の幸せや生きがいを求めてさまざまなものの間を遍歴しています。そのような中で、何度も失望を味わうことがあります。そのあげく、目先のその時、その時の慰めだけを求めて、満足する生活に流されてしまうということがあります。

 ところが、この女性は失望を何度も繰り返しながらも絶望しないで、忍耐強く最後まで真の救いを求め続けたのであります。彼女の病気は汚れを意識する病でした。それにもかかわらず、この女性は主イエスに手を伸ばしたのであります。

 私たちは困難にぶつかると「もう駄目だ」と決めてしまうことがあります。しかし、この女性は群集の中で隠れるようにして主イエスに近づき、主イエスにふれました。多くの人々は主イエスのまわりでひしめき合っていましたが、この女性は主体的に主イエスの服の房に触れたのです。私たちも礼拝に参加して、この女性のように自らの罪の汚れを知って主イエスに信仰の手を伸ばす者でありたいと願う者であります。

私たちは礼拝に集い、聖書の証言を通して主の聖餐によって主のパンと杯にあづかり、主の肉と血潮を思い起こし、主の十字架を見上げています。私たちはこのようなかたちで主イエスに触れているのです。

 主イエスは主に触れた女性に大勢の人のいる前で「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心してゆきなさい」と仰せになりました。12年間も孤独と無力の中にあった彼女は、遂に主イエスに巡り会い、人々の間に隠れながらも主イエスに近づいて行ったのです。主イエスはこの女性の行動に目を止められ、救ってくださったのです。私たちも行動を起こさなければなりません。その時、主が働いてくださるのです。

 私たちはさまざまな困難な問題の前に行動を起こさないで、救ってくれない神を呪ったり、自分の不幸を嘆いていたりしていることがあります。

 織物の裏からでは表の美しさは見えません。人間の側からは見えなくても神の側からは見えている。この女性はしぶとい信仰をもって、つぶれそうでつぶれない、望みを失いそうで失わない。私たちもそのような信仰者でありたいと願う者であります。

 次は主イエスがヤイロの娘を復活させるという話であります。

 主はヤイロの娘が死に掛けている知らせを聞いてヤイロのところへ行く途中に、12年間の病める女性を癒されました。そのためにヤイロのところへ行くのが遅れてしまい、娘は死んだのであります。ヤイロの娘と家族にとって、主イエスが遅れたことは「忍耐の試練」でありました。主イエスの到着が遅れたために娘は死んでしまいました。主のもとに来た使いの者は「このうえ、先生を煩わせることはありません」と告げました。

 主イエスはこの知らせを聞いて「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば娘は救われる」と仰せになりました。これは12年間の病の中にあった女性が癒されたと同じ力がヤイロの娘に及ぶことを約束しているのです。「ただ信じなさい」 これは待つという忍耐の試練の中にある者に語られている神の言葉であります。

 主イエスがヤイロの家に着くと、家族や近所の人は12歳くらいになる少女の死を悲しんで泣いていました。それを見て主イエスにとって「死」は終りではなく「復活」の希望の中にあることを告げているのであります。

 私たちの教会ではよく人が亡くなると「永眠」といいます。人間の側から見れば人の死は絶対的なことであります。しかし、神様の側からみれば死は絶対的なものではないのです。

 53節に「人々は娘が死んだことを知っていたのでイエスをあざ笑った」とあります。当然なことです。主イエスはそのような人々の前でヤイロの娘に向かって「娘よ、起きなさい」とみ声をかけます。

 「すると娘は、その霊が戻って、すぐに起きあがった」とあります。この娘は、やがていつの日か死ぬでありましょう。

 この奇蹟が示しているものは、死は人と人との間を断ち切りますが、「眠り」は断ち切れません。再び相い会するときがくるのであります。

主イエスと私たちの関係の中で起こる死は、「眠り」のようなものだというのであります。

 私たちはいつの日か、必ず「永眠」すのです。そして主イエスによって「起きなさい」とのみ声をかけられ復活するのです。主イエス・キリストは私たちの死からさえも救い出してくださるのです。私たちは最後のよりどころとして主イエス・キリストを「救い主」として信じている者であります。

 私たちにはさまざまな問題や課題を与えられています。その中で12年間の病める女性の癒しとヤイロの娘を甦らせた主イエスを信じて、行動を起こし力強く信仰による歩みを続けてゆきたいと願う者であります。

 大阪にある淀川キリスト教病院のホスピス病床であった出来事をある講演集で読みました。ある50代の女性の話です。入院されたときは、もう死は間近な感じでした。最後まではっきりされていて亡くなるとき、「行って来るね」と言われ、娘さんも「行ってらっしゃい」と言われました。まるで襖をあけてちょっと向こうへ行くような感じでした。

 永遠の命の確信と再会の希望は、大きなものだと深く感動いたしました。と講師の柏木哲夫先生は語っていました。

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