中野 光著『日本のペスタロッチーたち』

井本 克二牧師(05.4)

昨年6月から隔月で八王子ロゴス教会の礼拝説教を担当することになりました。教会は、JR高尾駅から京王線に乗り換えて3つ目の山田駅から南へ歩いて5分ほどのところにあります。クリスマス・シーズンの教会内のスナップ写真は第137(12/21)に掲載しましたが、なかなか凝った設計の会堂です。 

そして6月の最初の礼拝後の懇談の時、挨拶をいただいたのが中野光(あきら)先生でした。私が神奈川県茅ヶ崎の平和学園に在職のとき、1997年夏季教職員研修会の講師として来ていただいたことのある先生だったのでびっくりしました。そして今月417日にロゴス教会で説教した折、本書をいただいたのです。 ペスタロッチーについては、だいぶ前に『隠者の夕暮』を読み、また平和学園に就職して牧師から教師に変わって間もない1980年に『探求』(玉川大学1966年発行)を読んだくらいでしたので、これを機会にもう少し学んでみようと思いました。 
本書は、やはり教育者だった著者の父君が、戦時中もペスタロッチーのレリーフを室内に掲げていた信奉者であったことから書き起こして、戦前戦後わが国にペスタロッチーを紹介し、その精神を実践した教育者を紹介しています。ペスタロッチー(17461827)はフランス啓蒙期の思想家ジャン・ジャック・ルソー(17121778)やドイツの詩人・作家ゲーテ(17491832と同時代の人で、名前だけは幕末期から知られ

ていましたが、その全体像は明治中期に群馬県の中学校校長沢柳政太郎(18651927)の著者『教育者の精神』(1895)で知られるようになりました。 

その学統は長田新(おさだ、18871961)に受け継がれ、『ペスタロッチー教育学』(1934)が」刊行されました。広島で被爆しながら長田は広島文理科大学の学長に推され多忙な中で『ペスタロッチー伝』(19521)を出版し、その後は『ペスタロッチー全集』(1960)を完成します。 東京文理大学の梅根 悟(19031980)は『新教育への道』(1947)を出版して日本の教師たちに戦後教育への道標を示しましたが、それは「生活が陶冶する」というペスタロッチーの原理の実践こそが、戦後の日本教育を再建する上でのかけがえのない遺産であると評価したからでした。そして1951年文部省発行の『小学校学習指導要領社会科編(試案)』の表紙にグローブの筆になるシュタンツのペスタロッチーの姿(左掲)が表紙に採用されました。しかし1960年代からの日本の教育政策は能力主義に再編されて、戦後改革の理念から遠ざかっていきました。 

1970年代、80年代に苦しい状況に直面した日本の教師のペスタロッチー精神の復活の願いに支えられて「ペスタロッチー・フレーベル学会」が発足しました。本書の著者である中野光先生は昨年11月に日本のペスタロッチー研究・運動のメッカである広島大学から「第13回ペスタロッチー教育賞」を受賞されましたが、その理由としてご自身の言葉によれば研究者・教育者としての仕事と現在、責任を日本生活教育連盟および日本子どもを守る会という2つの民間教育団体の運動が、ペスタロッチーの精神に通じるものとして評価されたからと記しておられます。

教員生活23年において私は日常の教育活動が精一杯で、ほとんど教育学や教育史を学びませんでしたが、学生時代に教職課程の教育原理の講義で紹介されたルソーの『エミール』を読んで感動し洋書「20世紀における教育の発達」を半分ほど読んでみたことを思い出します。

次に読んでみたいと思っているのは、ペスタロッチーの大作、『ゲルトルート児童教育法』(1801)です。ドイツ語の原題は「如何にしてゲルトルートはその子を教えるか」となっているのがおもしろく、彼の考え方をじっくり学んでみたいと思います。もしかすると私が勤務した平和学園の教育と共通する考え方がたくさんでてくるかもしれません。

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