血を流すまでの抵抗

井本 克二牧師(日本基督教団)821礼拝日証言

ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。 (使徒言行録7章55~56節)
新約聖書 使徒言行録7章5460節 序 詞  エレミヤ書17章9〜10節

           讃美歌 262番「十字架のもとぞいと安けし」
              
               (1)初代キリスト教会の生き生きした信仰

キリスト教会のキリスト教会の歴史も既に2000年を越え、キリスト教人口は、全世界の60数億人のうちの3分の1を占める20億人となりました。この宗教人口は第2位のイスラム教徒の2倍近い数となります。もちろんキリスト教人口が多ければそれでよいわけではなく、どのような信仰を持っているかというキリスト教信仰の質が問われなければなりません。確かに、使徒行伝に描かれる新しい少数派であるキリスト者が、誤解と偏見とたたかいながら主イエス・キリストの福音を宣べ伝えている姿は本当に感動的であり、現代に生きる私たちは繰り返し初代キリスト教会の生き生きとした姿から学ばなければならないと思います。主イエス・キリストは公生涯の早い段階で、やがて信じる者たちが受けることになる苦難を予想して励ましておられます。

「人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、私のために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊である。」  マタイによる福音書10章17〜20節

(2)使徒パウロの先駆者としてのステファノの信仰

使徒言行録第6章の後半から7章全体にわたって、ステファノが火を吐くような勢いで主イエス・キリストを証する姿が描かれています。先週お話しましたように、初代キリスト教会においては使徒たちだけでなく信徒もしっかり伝道しています。特にステファノについては破格の取り扱いを受け「信仰と聖霊に満ちている人」と紹介されており、事実、後の大使徒パウロとなるユダヤ教原理主義者であったサウロを回心へと導く下地をつくりました。新約学者山谷省吾先生の新教新書『パウロ』1964年には「使徒パウロはステファノの後継者と言うべきではないか」とさえ書かれています。そして使徒言行録第7章全体にわたって展開されるステファノの演説は、ユダヤ教とたもとを分かつ「キリスト教の最初の宣言」(F.F.ブルース)となっています。

始まったばかりのキリスト教はやがてユダヤ教的、律法主義的キリスト教に逆もどりする傾向が出てくるのですが、それを必死でくいとめようとしたのがパウロでした。ガラテヤの信徒への手紙(2:11−14)では、先輩格のペトロに対して「私は面と向かって反対した」と書いています。口語訳聖書では更に強い表現で「面と向かってなじった」と翻訳されています。またその後、第一伝道旅行(使徒言行録13:1−15:35)では同じく先輩であったバルナバとも対立し、第二伝道旅行(15:36−18:22)では同行を拒否しているほどです。しかしそれはパウロの信仰の中心にあったステファノの証があったからで、それを守らなければならないという使命感からの言動と理解されます。そのようにステファノは神学者・伝道者に強い影響を与えた信徒だったのです。

(3)旧約聖書と新約聖書の関係について

使徒言行録第7章は、新約聖書時代の人々が旧約聖書をどのように理解していたかが良く分かる学問的にもたいへん

興味ある箇所です。ところで皆さんは新約聖書だけでなく旧約聖書にも親しんでおられるでしょうか。自分の好みに合った新約聖書の一部だけ読むのではなく、慣れないかもしれませんが、旧約聖書もぜひ読んでください。私は今年、文語訳聖書を創世記から読み始めて、今は士師記を読んでいます。そしてその都度思いがけない発見をしています。

新約聖書時代の人々は当時ギリシア語で旧約聖書を読んでいました。学問的には「七十人訳」とか「セプトゥアギンタ」とか呼ばれているものです。それに対して現代の私たちは、プロテスタント教会もカトリック教会も、ヘブライ語から直接翻訳された旧約聖書(マソラ本文)を読んでいます。けれども旧約聖書39巻の配列はギリシア語旧約聖書と同じですが、中世を通じてカトリック教会公認のラテン語聖書(ウルガータ)とほぼ同じ配列ですから、多分ユダヤ教との区別のためだったのかもしれません。そういうわけですから、新約聖書の中で引用される旧約聖書の言葉は、私たちが用いる旧約聖書の言葉と微妙に違うところがあります。一例をあげますなら、使徒言行録7章のステファノの演説の中で、「私たちの父アブラハムがまだメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族から離れ、私が示す地に行け』と言われました」と語っていますが、私たちが創世記第11章を見ると、カルデアのウルを出発する一行の中心人物はアブラハムではなく父親のテラで、彼は多分、異教徒でした。父親について行ったアブラハムがハランにいたとき、神さまから「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい」

(12章)と言われています。また父親から独立したときアブラハムは75歳でしたがテラはそのとき145歳で、その後205歳まで生きていましたから、「彼の父が死んだ後」とする使徒言行録とはずれがあります。

またハランという町は、ユーフラテス川上流の渓谷にある通商都市、交通の要所ですが、歴史的に見てなかなか面白い町です。古代から中世にかけて、ペルシア起源のゾロアスター教(拝火教、子孫は今でもインド西部に住んでいます)、ユダヤ教、キリスト教(ただし異端とされるネストリオリス派、ヤコブ派)、イスラム教など様々な宗教が雑居する町で、相互の交流も盛んな自由な雰囲気の都市であったようです。ですから今から4000年前、アブラハムの父親テラがカルデアのウルという当時のメソポタミア文明の中心地から離れてカナン地方を目指す途中で、ハランに住み着いた理由もそのへんにあったのではないかと考えられます。

(4)ステファノの殉教


使徒言行録7章のステファノの演説はアブラハム物語のあとも延々と続き、エジプトに移住したヤコブ、ヨセフの話からモーセの話となり、更にイスラエル民族が40年間、荒野をさ迷った末、父と蜜の流れると言われたカナン地方、現在のパレスチナ地方に入り込み、ダビデ王、ソロモン王という黄金時代まで語られますが、その結論は、いつの時代も神の民は預言者に逆らい、神に逆らってきたが、あなたがた大祭司もまた同様に主イエス・キリストを拒否し、私たちキリスト者を迫害しているのだという指摘です。「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりし、大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた」のも無理からぬほどに激烈な演説でした。けれどもその後に、注目すべき記録がさりげなく付け加えられています。それは7章58節の「証人たちは自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた」という記事と、8章1節の「サウロはステファノの殺害に賛成していた」という記事です。たぶんその時点のサウロは右翼青年団のリーダーのような存在であったのでしょう。しかし

その時の「さながら天使の顔のように見えた」(6:15)ステファノと、力強い彼の演説にサウロは大きく心をゆさぶられていたのだと思います。もちろんステファノはそのことに気づかぬまま死んで行くわけですが、このようなことは私たちにも起こりうることです。結果や効果を考えるのではなく、自分の信じるところをそのままきちんと語り行動するとき、私たち自身が気づかないところで、神さまの全能の力が働いて、人の心を変え、組織を変え、社会を変革してくださるのではないでしょうか。大切なことは、私たちがしっかり信仰をはたらかせて単純率直に語るということです。

(5)結びの言葉

私たちは、主が制定された聖餐式にあずかるたびに、2000年経った今もなお、主イエス・キリストの十字架という贖罪のわざが全人類に必要であり、有効であることを心に刻みたいと思います。最後にヘブライ人への手紙12章4〜6節をお読みして話を終わります。「あなた方はまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したこがありません。また、子どもたちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはならない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」 ()

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