夏から秋へ

北川早紀

 私が俳句を始めたのは昭和58年の事だった。俳句好きな牧師夫妻の肝入りで「元芝句会」が教会の一室で始まり、誘われて参加した。最初に指導して下さったのは吉井莫先生でした。莫先生亡き後、今も指導して下さっている深見けん二先生、共に高浜虚子門下で「花鳥風詠客観写生」を虚子先生から直接学んだ師なので、お二人とも指導は厳しかった。

 俳句の世界はすべてに秩序があり、特に時間厳守であったので今でも何かと役に立っているのではないだろうか。

 深見けん二先生の初めての句会で「皆さん、虚子の『俳句身上定形花鳥風詠客観写生』を俳句に表現するのはなかなか難しいですよ。それに耐えて俳句を続けて行けますか。俳句は一生のものです。途上いろいろな事があり句会を休む事があっても続けて行きますか。」と静かにおっしゃった。その言葉は今も私の中に生きており、俳句を長く中断しなければならない時期もあったのに、続ける事が出来たと感謝している。その後、会場は教会から渋谷に移り人数も増えた。その頃は「花鳥風詠客観写生」を良く理解出来ていなかった。

 虚子の写生とはまず自分の心に関係なく花や鳥と自分の心が親しくなり、主観の交錯で心も自由に詠める。更に進むと客観描写をすれば、それが作者自身を描くことになる、との虚子の俳句姿勢が、この頃やっと理解出来るようになり、私自身、主観を豊かにし客観写生で主観を滲ませる句が望ましいと思うようになった。集中して花鳥風詠の世界に浸る時、何故か心が落ち着くこの頃です。

葉桜の一本道を迷ひけり

蝶ほどは人出ておらず菖蒲苑

家々にゆるき坂道栗の花

売約の薔薇日晒しに香りをり

薔薇活けて薔薇より蟻の湧き出しぬ

白薔薇の一重の香り放ちけり

蔓薔薇へ日ごと蜜蜂飛来せり

坂径を転がるやうに夏の蝶

夏霧の山を残して晴れ渡り

喫泉の湯を吹き上げる炎天下



新涼や聖書の並ぶ談話室

雨筋の見えて芙蓉の花に入る

肩車四五人増えて大花火

百日紅風立てば色新たなり

虫時雨邯鄲の声はみ出せり

ごつごつとした梨を剥く雫かな

目薬のやうに水差す菊師なる

団栗の踏まれし音も乾く音

柚一顆一顆へ風の日差しあり

水引の花にも触れて山の湖

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