思い悩むな

ルカによる福音書12章22-34節

2007年7月29日 
                 


大津健一
牧師(日本クリスチャンアカデミー所長)

科学的なものの進歩は日進月歩ですが、人間の心は、イエス様の時代と比較しても、今の私たちとそう変わりません。2000年前の人々の悩み、苦しみ、そして犯した誤りは、今日の私たちも同じように抱えている問題です。特に経済発展を中心に考えてきたこの国のあり方について、人間として大切なことを聖書から学ぶことが出来ます。

そのような意味で、今日の聖書の中でイエス様が、当時の人々に向かって「思い悩むな」と言われたことは、様々なことに目も心も奪われている今日の私たちにも同じように語られている言葉として受け取ることが出来ます。

 先日中越沖地震によって被害を受けられた柏崎市の方のTVアナウンサーのインタービューに応えて、「これからの生活がどうなるかを考えると、夜も眠ることが出来ない」と言われた言葉を思い出します。このような地震被害者の方が持っておられる「思い悩み」を聞きますと、「思い悩むな」と言う言葉を軽々しく語ることは出来ません。

 また、私たちの社会はここ数年3万人を超える自殺者を出しています。特に働き盛りの中高年の自殺は深刻な問題です。専門家によると、中高年の多くの自殺はリストラによる失業や、それによるストレスによってもたらされると指摘しています。先日弁護士で、子どもの人権問題などに取り組んでおられる坪井節子さんのお話を聴く機会がありました。坪井さんは、子どもの駆け込み寺「カリヨンの家」の活動をしておられます。坪井さんは、いじめを受けて自殺する子どもについて、死ぬ勇気があったら生きなさい、と言う言葉を聞くが、それは当事者の子どもの立場を理解していない言葉だと言われます。子どもたちは、自殺以外の選択肢を見つけられなくて死んで行くのだ、と言われました。坪井さんは、問題を抱え、孤立している子どもに寄り添って生きることの大切さを言われたことは印象的でした。

1997年以来人々は、社会の中で孤立感を深めていると言われています。これは丁度バブル崩壊の時期と重なります。今まで確かなものであると信じてきたものが足元からくずれていく現実の中で、自殺問題は、人々が深い思い悩みの中にあることを示しています。

 今日の聖書は、マタイ福音書にも並行したお話があります。マタイでは、イエス様の「山上の説教」の中に入っていますが、ルカではファリサイ派の人の家の食事にイエス様が招かれたときに人々に語れた言葉として記録されています。イエス様は、話を聞いている人々に「思い悩むな」と2回(12章22節、29節)語られています。イエス様の話の聞き手は、ユダヤ人、特にガリラヤ地方の貧しいユダヤ人でした。聖書は当時の人々が置かれている現実を語っています。

「また、群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9章36節)

「だから明日のことを思い悩むな。明日のことは明日自身が思い悩む」(マタイ6章34節)

これらの言葉から、その日その日を生きている当時の人々の姿が思い浮かびます。

そしてそのような人々に「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」(22節)と言われます。

人々が、何かいろいろ食べるものや着る物にチョイスがあって思い悩んでいるのではなく、むしろチョイスがない生活の中で、明日のことについて思い悩んでいると考えるのが適当だと思います。イエス様は、人々が思い悩んで生きていることを否定しておられるわけではありません。しかし、そのことによって私たちが、目先の問題に心を奪われて、神様との正しい関係において生きることをおろそかにする在り方を批判しておられます。

 更に「烏(カラス)のこと考えてみなさい」(24節)、「野原の花がどのように育つのかを考えてみなさい」(27節)と言われます。

これらのイエス様のことばは、私たちが神の恩恵の中に生きている、正確には生かされている存在であることを示しています。「思い悩み」と言うギリシャ語の原語には「思い上がり」と言う意味が内含されていると言われていますが、自己への過信がくずれたとき思い悩みが生じます。ですからイエス様は、31節で「ただ、神の国を求めなさい」(マタイでは「神の国と義を求めなさい」となっています。)と言われました。「神の国」とは神の支配を意味しています。またマタイ福音書にある「神の義」とは、神の支配に身をゆだねることによって私たちの思い悩みからの解放(本田哲郎訳)を意味しています。この世の冨や権力にではなく、神の支配に信頼して生きることと、神による解放を求めて生きなさい、と言うイエス様の呼びかけを聞きます。私たちにとって最も大切ないのちの糧を与えてくださる主イエスにしっかり連なって生きることが私たちに求められています。そして様々な問題の中で思い悩みを持って生きている私たちにイエス様は、私はあなたと共にいる、「思い悩むな」と励ましを与えてくださっています。

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