今日一日

09.8.30

多河敏子

招詞:箴言27章1〜27「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」

賛美歌310・495・305(静けき祈りの・月なきみそら)

聖書:ヨブ記1章18〜22

「彼が話し終わらないうちに、更にもう一人来て言った。「ご報告致します。御長男のお宅で,御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。すると、荒れ野の方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

今日の聖書のヨブ記は昨年9月夫が亡くなった時にY’Sメンズクラブメンバーで娘同志が中学の仲良しだった方のお母さんがくれた手紙の文にあったものです。

順番が回って来てついにこの日の証言が来てしまいました。敬愛する兄弟姉妹の前で何を話そうかと考えるのですが、なかなか出て参りません。そのままの気持を話せばと思ってもです。私のような確固たる信仰を持っているとは言えない人が司会をしたり演壇で話す事はいつももってのほかのような気が致しますが、それは神からの指示であるとも思います。教会の演壇は皆様と同様に私にとって特別な意味を持つ所であるように思われます。何も無いんです。何も無いんですと30分繰り返す事で終わるのも情けない話ですから、ありのままの現況を話させて貰います。前後行き違いがあるかもしれませんが、近況を話させていただきます。

何か人生の途上で大きな打撃を受けた経験のある人は、その後の生き方に変化が現れる事があるような気が致します。私はこのところ、ずーっと朝目覚めて思う事の第一が本当に

今朝も生きていたのだなあと。そして今日一日生きられるならとしばし感謝の祈りのひと時を過ごします。良い一日に出来るようにしようと思いながら。これだけのことですが以前には考えられなかったことです。ちょっと淋しいことかもしれませんが、今日一日の命と思い始めると良い事もあります。

物を整理整頓しようという気持ちが出てきます。散らかして整理しないこともありますが、余分なものをリサイクルに出したり、燃えないゴミとして持って行って貰ったり、大きなものは五百円単位のポイント券を張り付けて市の清掃部に持って行ってもらったり。常に片付けを心がけようとする気持ちが芽生えて来ます。

朝、しばらくして新聞を見、1ページ下のコラム欄を声を出して読みます。これをすることで自分の健康状態が少し分かるような気がするからです。次に皆様既にご存じ20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたスイスの神学者で1935年にヒトラーへの忠誠宣言を拒否して大学神学教授を退職処分にされたカール・バルトの「祈り」を音読します。この「祈り」の内容は理解出来るように見えますが、私には難しい事です。今朝はコラムしか読みませんでしたので、ちょっと読ませていただきます。

 カール・バルトの祈り・・天にいます愛する父よ。あなたが、イエスにおいて私たち人間のために、昔も今も語り給う、永遠の,生ける、救いにみちた御言葉に感謝いたします。どうか、その御言葉を聞き逃したり、ぐずぐずして御言葉に従わなかったりすることのないよう導いて下さい。どうか私たちを滅ぼさず、あなたの慰めによって私たち一人一人のもとにとどまっていて下さい。どうかあなたの平和によって、私たち一人一人のもとにとどまっていて下さい。どうかあなたの平和によって、私たち一人一人と、私たちの隣人との間にとどまっていて下さい。どうか又、私たちの心が、この施設が、私たちの故郷(ふるさと)がこの町が、私たちの国が、地上全体が、何度も繰り返し、少しでも明るくなるように導いて下さい。あなたは今日(こんにち)の状況を、あらゆる面から、またしても大変暗くし危険にさせている、さまざまの過ちや悪意を知っておられます。少なくとも、この世界を治めている人々の頭や、とりわけ、世論を形造っている人々の頭や、とりわけ、世論を形造っている人々の頭の中にある、ひどく濃い霧を吹き散らせるような、さわやかな風を吹き入れて下さい。そして、体と魂に病を持つすべての者、生きる事に悩み、自分や他人の咎(とが)によって道を迷わされ、途方に暮れている多くの人々に、特にそこで友人や助けになる人を一人も持たぬ多くの人々を憐れんで下さい。どうか私たちのまわりにいる青年たちにも、何が真(まこと)の自由であり、何が真の喜びであるかを教えてください。また、老人たちと死の床にある者には、復活と永遠の生命の希望を見失わないようにさせて下さい。しかし、あなたはまことに、私たちのもろもろの危機を心にかけて下さる第一の方であり、またそれを変えて下さることが出来る唯一の方でいまし給います。それ故、私たちは目を、実にあなたにのみ挙げることが出来ますし、また挙げようと思います。私たちの救いは、天と地を造り給うたあなたから来るものだからであります。アーメン。(バルト著・川名勇訳「祈り」新教出版社)

人が心身共に元気で居る時は、いつまでも元気で生きていられると思いがちですし家族もいつまでも元気でいると思い込みがちですが、そうではないんですね。先日ちらと見ていた番組で「赤ちゃんが生まれてから一歳まではお母さんがしっかりと抱っこして沢山の愛情を注いであげてください」と言っていました。私は子供を生後3か月で保育園に預け後ろ髪ひかれる思いでいつも勤め先に向っていたのでそれを聞いた時、自分の事をくるくると思い出していました。今は行政も進んできて産休後の対応の状態が良くなり、1年間は子供と向き合える時間が与えられるようになって来ました。

小学4年位だった二女がある日、こう言いました。「お願い!家中の人形を全部どこか見えないところに隠してくれない?」素敵な人形など無かったのですが、ああそうだったのかと思いながら内心どきっとして、早速ロッカーの中にしまい込みました。雛人形などはもっての他だったのです。あの独特の表情を可愛いと思う方も沢山いると思いますが、私も好みませんし子供も同じ意見でした。世の中の皆さんは多分ひな祭りには親子揃って飾って祝ってあげたり色々な行事ごとに心に残る事をしてあげている事と思いますが、そんな時間はありませんでした。諸々の事が重なって決して良い母親とは言えない自分だったのですが、それらの事をすべて含めて二人は母親を許してくれていたような気がします。

毎日毎日帰って来て一人で鍵を開けて入るのは辛かった事だったのだと思います。

人形が自分をじっと見つめているのが怖かったのでしょう。近くにいる同級生のお母さんが次女をいつも迎えてくれた事を忘れる事が出来ません。しかも毎日おやつまで作ってくれ迎えてくれました。このような過去を振り返ると自業自得というのでしょうか母親の誕生日にはせめてメール位欲しいものですが、何もありません。考え方が母親と同じになったのだと思います。

一人住まいには一人住まいの良い点もあって、だんだん慣れて来ましたが、八王子に住む友人がよく励ましてくれます。

40代後半に夫を仕事半ばに病気で失った友人二人は、今大好きなコーラスを一人は二か所で一人は4か所に入って楽しんでいます。娘が仕事場近くに引っ越して行ったの。遅い時間に迎えに行かなくても済むし、食事も遅くなるし、大変だったので、ああ良かった、

と話しています。敗戦記念日の翌日は朝からとても暑い日がさしていました。ロゴスまでの道を川に沿って歩くと気持ちが良いので、大体歩きますがその日は別の道でした。約40分の道のりですが山王坂という急な坂があります。そこに来て坂の途中で一休みしていると、85歳になる近所のおばあさんが上からせっせと降りてくるのです。このおばあさんの息子は東京農大で園芸科の先生だったそうで、定年退職後、ずらりと並ぶ建物入口の道路の両側に色々な花を植え四季折々に通る人を喜ばせています。このおばあさんを見ているとこの母にしてこの子有りと思わせられます。おばあさんがいつでも歩いているのに出会います。

近所の友達がある日サギ草と交換に月下美人をくれました。夜中に咲く花だと聞いてはいましたが、最近蕾が出て膨らんで来ました。夜の9時頃少しずつ開き始め、やがて満開、

二時間足らずの間に萎みました。それを見せたいとくれたのです。

これらの友人たちはみんな信仰を持っている人では無いのですが、思いやりの深さ、優しさは人並み外れているような気がします。

私は用事がない限りほぼロゴス教会に通うようになりましたが、そのきっかけは、ポストにチラシが入っていた事からでした。

山本先生が90歳のころだったのでしょうか。内容は覚えておりませんが、高齢にもかかわらず証言をされている牧師の話を是非聞いてみたいと思いました。証言の途中で「こんな話つまらないと思ったらすぐ帰ってください。いいですよすぐ帰って」と言われたのでびっくりした事を思い出します。この言葉だけはしっかり覚えていて肝心の証言は覚えていないのですが。間もなく朝日新聞の人の欄に戦争反対の話で投獄された異色の牧師である事などの先生の紹介記事が載りました。

 聖書理解は難しかったりしますが、お仲間の皆さんから教えて貰ったり、毎週遠方から数人の先生がお見えになり質問も可能です。ロゴス教会の自由なあたたかい雰囲気の教会に通わせていただく幸せを感じています。6月に松本姉と旭川に行った時、甲府の鈴木さん大沢さんが熱心に三浦綾子記念文学館に寄りたいとガイドさんに交渉していた甲斐があり、寄ることが出来ました。お二人とも手に新潮文庫の「塩狩峠」を持っていました。

帰ってからブックオフに行きその文庫本を手に入れました。針葉樹林の中に瀟洒な教会を思わせる木作りの館内はあたたかい雰囲気に包まれていました。「塩狩峠」は明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き人間存在の意味を問う三浦文学の基調をなす長編小説です。

 主人公永野信夫のような生き方に感動をおぼえますが、自分の信仰姿勢はお恥ずかしいかぎりですが、教会の諸先輩の皆さんから又経験豊かな教会学校の原先生から教えてもらいながら、聖書への理解を少しでも深めるよう努力していきたいと思います。

有難うございました。

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