最も小さき者との出会い

山本俊正牧師

マタイによる福音書25章31〜46節

(05年1月2日)

 今日は最初に私の信仰の歩み(Faith Journey)について、またキリスト教との出会いについて、少しお話したいと思います。私は日本の平均的な家庭と申しますか、両親が仏教徒の家庭に生まれましたので、キリスト教とはあまり接触することなく成長いたしました。私が初めてキリスト教に出会いましたのは、高校生の時でした。私の高校時代の親友が、たまたまクリスチャンで、彼に誘われて教会に行ったのでした。私は小学生の時に、自分の弟が病気でなくないり、中学生の時に、自分を可愛がってくれた祖父が死亡したことを経験し「人間の死」ということをよく考えることがありました。椎名燐三という作家が日本人がキリスト教に入信する場合、人間の罪の問題から入る人と「死」の問題から入るタイプに分けることができる、と言っています。私の場合は「死」の問題が教会に足を向かわせた動機だったかもしれません。いづれにしましても今、考えてみますと、この教会はいわゆるメインライン、主要教派のプロテスタント教会ではなく、どちらかというとファンダメンタルな福音主義的、単立教会でした。しかし、当時はその違いを知る由もありませんでしたし、また教会の方々はとても暖かく私を迎えてくれましたので、とても居心地がよく、直ぐにいついてしまいました。
 
教会の牧師はアメリカからの宣教師の方で南部なまりではありましたが、流暢な日本語をお話になり、大変おもしろい方でした。教会に通い始めてから、3ヶ月ほど過ぎたある日のこと、聖書研究会の後、この牧師さんが私を牧師室に呼ばれました。彼が言うには私が大変熱心に教会に来ているので「洗礼をソロソロ考えてみませんか」と誘ってくれたのえした。「洗礼」の意味に関して質問いたしますと、牧師さんは大変詳しく説明をしてくださいました。その説明の途中、牧師さんは私に「ところで山本さんの両親はクリスチャンですか」とお聞きになりました。「いいえ仏教徒だと思います」と答えますと、「ああ、そうですか、それは良くないですね、死んだら地獄にいくのですよ」と言われました。この牧師さんの発言は当時、高校生の私にとっては大変ショッキングな言葉でした。「自分が洗礼を受けて天国に行き、自分を今まで愛し、育ててくれた両親が地獄へ行くということは、どう考えても不公平ではないか」と思ったわけです。また、「キリスト教とはなんと排他的な宗教なのか」と強く感じました。結局、その日以来、教会には行かなくなりました。
 
 キリスト教との第二番目の出会いは、機会が与えられ大学時代にインドネシアに滞在した時でした。1972年、当時、現在私が仕事をしている日本キリスト教協議会(NCC=National Christian Council in Japan)に事務局があった国際キリスト教青年交換(ICYE=International Christian Youth Exchange)というプログラムでインドネシアに1年間滞在しました。「留学」と言わないのは、ICYEが、学問的な留学ではなく、若者の交換を目的としていたからでした。1972年当時、アジアに「留学」する人はほとんどいませんでした。友人や家族からも「何故インドネシアで何が学べるのか」と、よく問われました。私自身にも明確な答えはありませんでした。出発前、ICYE担当者は私に「一応大学に在学しますが勉強はむりでしょう。1年間でインドネシア語をたくさん覚えて、友だちができれば大成功です。アジアと日本の平和の架け橋になってください」と言ってくれました。私は最初の3ヶ月ジャカルタの長老派教会の牧師さんの家に滞在していたのですが、この方は、私が高校生の時に出会った宣教師とは違って私が質問しない限り、キリスト教に関しては全く話をしない人でした。しかし、この牧師さんは教会の仕事のほかにも様々な社会活動に関与しており、特に当時、ジャカルタ近郊にあったスラムの住民の人権や生活の問題に取り組んでいました。私は自分のそれまでの人生でこのような人に出会ったことはありませんでした。

 この牧師さんの生き方は私にとって大きな驚きだったのです。当時の私の人生設計は、よい大学を出て有名な企業に就職し、家や車を買って楽しくマイホームを中心とした生活をすることでした。当時はあのイラクで人質になった高遠さんのように単身イラクに行って路上生活する子供たちのために働くような人はほとんどいませんでしたし、まだNGOもほとんどありませんでした。貧しい人や飢えている人のために働く人というのなにか、テレビや映画や小説でのお話だったのです。私は牧師さんの話をこの聞くうちに、また一緒にジャカルタのスラムで炊き出しを手伝った時、この牧師さんの働きが彼のキリスト教信仰に深く支えられ、根ざしていることに気づかされたのでした。キリスト教も悪くないなと思いました。私の出合ったこの牧師さんは、教会で言葉によって福音を語るだけでなく、本日読んでいただいたマタイの箇所に書かれている、飢えている者、渇いている者、差別されている人々と関わることによって聖書をいきようとしていたのです。私は福音を生きる彼の姿に感銘を受けました。長い話を短くいたしますと、この牧師さんの生き方に触れることがきっかけとなり、聖書を読み直し、日本に帰国してから洗礼をうけました。今、振り返ってみるとこのインドネシアの体験がキリスト教との出会いだったと思います。

 インドネシアでの経験をもう少しお話すると、私はジャカルタに3ヶ月滞在した後、フィリピンに近いセレベス島のマナードで8ヶ月間過ごしました。マナードでは毎週、土曜、日曜、一泊で近隣の山岳地帯にある教会訪問が主要なプログラムでした。礼拝や集会の後、日本についてスピーチをし日本の歌をよく歌わされました。マナード周辺は第二次大戦中、日本の落下傘部隊が駐留したところで、年配の人たちのなかには日本の軍歌を覚えている人が多くいました。私の下手な歌の後に日本の軍歌の合唱が続くことに驚かされました。またインドネシアでは私の名前の発音が「味の素」(=山本)および東芝(=俊正)に似ていることからインドネシアに進出していたこれらの企業名でよく声をかけられました。マナードは小さな田舎町ですので、誰もが私を知っていて道を歩いていると「東芝」!「味の素」!、と声をかけられたのです。日本がアジアに戦争中に残した傷痕は癒されておらず、企業進出として登場した日本の姿を肌で感じる体験となりました。
 
 さて、さきほど読んでいただいたマタイ25章はイエスが話をしたものとしては「最後の審判」に関して、新約聖書の中で最も長い記述として有名な箇所であります。最後の審判の時、私グループたちは王の前に出され、羊のグループと山羊のにわけられます。羊のグループは永遠の命が与えられ、山羊のグループは永遠の火の中に投げ込まれるのです。つまり、羊グループは天国に行き、山羊グループは俗に言う地獄行きということになります。イエスはここで私たちがどちらのグループに属するか簡単な基準を示されます。その基準とは「私が空腹の時に食べさせ、渇いた時に飲ませ、、旅人だった時に宿をかし・・・獄にいた時に訪ねてくれたか」どうかだといいます。これを聞いた羊、山羊、両グループはこの基準が理解できず当惑するわけです。「えっ!私たちはイエス様が空腹でのどが渇いていたことなど知りませんでした!」と。これに対してイエスは答えて言います。「私の兄弟(姉妹)である最も小さい者にしたのは、私にしたのである」と。そして後半のところでは、同様に「最も小さきものにしなかったのは、私にしなかったのである」と答えています。
 イエス様がここで言おうとしていることは、私たちがこれらの最も小さき者、たとべば飢えている人を助けることにとどまらず、イエス様を助け、神の栄光をたたえることになるのだということです。また、その逆に飢えている人を私たちが拒む時、私たちは飢えている人を拒むことにとどまらず、イエス様を拒み、神を拒絶することになるといっているわけです。
 つまり、私たちが自分の隣の人を傷つける時、実はイエス様を傷つけ、神を傷つけているのです。この箇所を読んで最も注目すべきところは、イエスが自らを当時の差別の対象となっていた「最も小さい者」と同一化していることであります。実際、世界の救い主であるイエスは生まれたところが、大きな宮殿や寺院でなく、粗末な馬小屋でした。そして、その生涯「最も小さき者」の一人として、「飢え、渇き、宿なく、病に倒れ、獄中にある人々」と共に歩まれたのです。そしてイエスはまさに自ら「最も小さき者」である「罪人」として十字架で処刑されたのであります。
 自らが神でもないのに、キリスト者以外は地獄に落ちると説いてまわる伝道者がおりますが、この箇所から見る限り聖書的ではありません。むしろ天国への道、神の国への道はキリスト教に改宗させることではなく、私たちが「最も小さい者」にいかに関わるか、また関わらないかによって決まるのだとイエス様は言っているのであります。

 今日、読んだマタイ25章は「最後の審判」に関して、私たちの死後の問題から、私たちの現在のあり太陽の方を問いかける内容になっています。フーコという哲学者は、人間には直視できないものが二つあると言っています。その一つは頭上に輝く光であり、もう一つは自分の死であるとのことです。確かに私たちは「死」を日常会話で話題にすることはあまりありませんし、また「死」について語ることもタブーという感覚が強いといえます。しかしこれとは逆説的に死後の世界については興味本位なものを含めて話題に事欠きません。自分がどこから来てどこへ行くのかを知ることは古今東西、人間共通の関心事なのでしょう。
 
本日の聖書の箇所は「最後の審判」として有名な箇所でありますが、キリスト教界でも死後の世界、天国と地獄に関連したたとえ話、教訓物語、笑い話などは数多くあります。例えば、このような話があります。「ある人が死んで天国と地獄の境に到着しました。そこで天使のガブリエルが天国と地獄の両方を案内してくれました。まず最初に地獄に行くと、そこでは宴会が開かれていました。しかし、そこにいる人々が持っている箸は非常に長く(2メートルにも及ぶ)、皆はご馳走を前にしてものを口にはこべず、衣服を汚して凄まじい光景でした。「ここはご免」と次に天国に行きました。天国に行くと驚くべきことに同じようなご馳走を同じような長い箸で楽しそうに食べていました。ただ地獄と違うのは、天国ではそれぞれの人がお互い隣の人の口に、食べものを運んでいることだったのです」  この話はアジアの教会へ行くとよく聞く話ですので、皆さんのなかにもお聞きになった方がいらっしゃるのではないかと思います。この話の中で注目すべき点は、天国、つまり神の国が「互いに自分の持っている物を分かち合う人々」のいる場所であることを示唆していることです。つまり神の国は自己中心的な人々が自分の欲望を充足するために存在するのではなく、自分が他者と分かち合う世界であるということです。

 本日の聖書の箇所で言われている「最も小さき者」とは、現在の私たちにとって誰を意味するのでしょうか。私たちの身の回りのなかで、日常生活のなかで、日本社会のなかで、アジアにおいて、世界において最も弱い立場にある人々と私たちは自分たちが毎日享受している「平和」を分かち合っているのでしょうか。もちろん、私たちがイエス様のように「最も小さき者」の一人になりきることは不可能かもしれません。しかし不可能だからと言って、私たちが居直ってしまってはならないと思います。私たちが自己保身的になり、自己完結的になり、他者との関係を遮断し、日本社会、アジア、世界の問題に無関心になる時、イエスは私たちに問いかけます。「はっきり言っておく、私の兄弟である、この最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたのである。」(40節)と。私たちはもう一度このイエスのみことばに耳を傾けたいと思います。また「最も小さき者」と私たちが共に痛みを分かち合い、常に私たちのあり方、生き方としてそれらの人々の位置に立つ勇気を持つ者でありたいと思います。

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