ロゴス教会創立者
山本三和人
山本三和人(1938〜2000)
1908年(明治41年)1月2日生まれ。青山学院大学神学部卒業。1928年(昭和13年)千葉県大原福音教会牧師。1947年(昭和22年)東京・豊島区目白にロゴス教会およびロゴス英語学校創設。1983年(昭和58年)八王子・小比企町に新会堂建設、移転。2000年9月昇天。 著書に『神への反抗』(1960年)『カフカ夢譚』(1983年)『文学的神奉仕』(1988年)『続・文学的神奉仕』(1989年)『神への反抗』復刊(1989年)『カフカ夢譚』復刊(1993年)『言葉の喪失』(1993年) 訳書W・E・ホッキング『人間形成の方向』(1949年)他。
これは1982年9月に東京・目白にあった旧ロゴス教会礼拝堂で開かれた「ロゴス教会の出発を記念する会」でのメッセージです。
わたしども、ロゴス教会は、ここ目白での35年にわたる活動に一つの区切りをつけ、八王子市小比企町へ移転することになりました。
このときに当たり、これまでながい間、皆様からいただいた暖かいお交わりと、心のこもったお力添えに対し、心からお礼を申し上げます。
さて、ローマ人への手紙の中でパウロは「だれでも、キリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった。」と述べています。キリストにある信仰の歩みは、時々刻々に行われる脱皮です。成長に欠くことのできないものは脱皮であって、脱皮が終わると成長はとまります。
わたしどもの教会の目白から八王子への移転は単なる空間上の位置がえではありません。それはこれまでの古いロゴス教会から、新しいロゴス教会への脱皮であり、私自身の信仰の原点に対する回帰でもあります。そしてこの脱皮はロゴス教会が存続し、ロゴス教会が成長をやめないかぎりつづきます。
ロゴス教会がそこに向かって脱皮をつづけてゆくヴィジョンは、これからの教会活動を通じて、キリストにある神の愛と、それによる自由とやすらぎが、この民族の心に深くとどき、やがてそれが新しい文化の花を咲かせ、実をみのらせることにあります。わたしどもはこのことに対して特にC・N・C運動(Challenge for New Culture)と名付けることにいたしました。
これは簡単に達成できるヴィジョンではありません。その達成には永年にわたる祈りと努力の積み重ねが必要です。しかしヴィジョンはただ前方にかかげてながめるためのものでなく、それに向かって旅立つための目標です。
その道がどんなに遠くても、またどんなにけわしくてもあと戻りはゆるされません。わたしどもの旅立ちに当たって、みなさまのご理解と、お力添えとを、おねがいしてやみません。
No | タイトル | 掲載紙誌 | 日時 |
---|---|---|---|
1 | はるかなる幻想に向かって | LOGOSNo.9 | 1989.9 |
2 | 認識と判断 | LOGOSNo.7 | 05.1.16 |
3 | 心の安らぎ | LOGOSNo.4 | |
4 | 序(ロゴス往来 『聖書の世界』) | 『聖書の世界』 | 1996.12.22 |
5 | 平和的共存 | 『聖書の世界』 | '96. |
6 | 羊と狼 | 『聖書の世界』 | 96. |
7 | 旅 | 『聖書の世界』 | 96. |
8 | 終末信仰 | 『聖書の世界』 | 96. |
9 | 悪魔に仕える教会 | 『聖書の世界』 | 96. |
10 | 断絶 | 『聖書の世界』 | 96. |
11 | 行動の源泉 | 『聖書の世界』 | 96. |
12 | 有神論と無神論 | 『聖書の世界』 | 96. |
13 | 時のしるし | 『聖書の世界』 | 96. |
14 | 神の言葉 | 『聖書の世界』 | 96. |
15 | 福音の実 | 『聖書の世界』 | 96. |
16 | 野獣 | 『聖書の世界』 | 96. |
17 | 律法の光 | 『聖書の世界』 | 96. |
18 | 永遠と時間 | 『聖書の世界』 | 96. |
19 | 禁欲生活 | 『聖書の世界』 | 96. |
20 | 宗教ブーム | 『聖書の世界』 | 96. |
21 | 神なき世界 | 『聖書の世界』 | 96. |
22 | 当為と現実 | 『聖書の世界』 | 96. |
23 | 神の食欲 | 『聖書の世界』 | 96. |
24 | 神の霊 | 『聖書の世界』 | 96. |
25 | 自分を愛するように | 『聖書の世界』 | 96. |
26 | 神ごころの強い人 | 『聖書の世界』 | 96. |
27 | 罪 | 『聖書の世界』 | 96. |
28 | 世俗との共存 | 『聖書の世界』 | 96. |
29 | 惨めな人間 | 『聖書の世界』 | 96. |
30 | 人格的な交わり | 『聖書の世界』 | 96. |
31 | 神なき世界の人間 | 『聖書の世界』 | 96. |
32 | クリスマス | 『聖書の世界』 | 96. |
33 | 虚栄の果実 | 『聖書の世界』 | 96. |
34 | 仏教とキリスト教 | 『聖書の世界』 | 96. |
35 | 自覚的存在と責任的存在 | 『聖書の世界』 | 96. |
36 | 神と共に | 『聖書の世界』 | 96. |
37 | 信仰姿勢の反省 | 『聖書の世界』 | 96. |
38 | 思うべき限度 | 『聖書の世界』 | 96. |
39 | 冷たくも熱くもない | 『聖書の世界』 | 96. |
40 | 過剰な信仰意識 | 『聖書の世界』 | 96. |
41 | からし種一粒ほどの信仰 | 『聖書の世界』 | 96. |
42 | 神の独り子 | 『聖書の世界』 | 96. |
43 | 人間愛の常識 | 『聖書の世界』 | 96. |
44 | 選ばれた者 | 『聖書の世界』 | 96. |
45 | パリサイ人 | 『聖書の世界』 | 96. |
46 | 神の法廷の被告 | 『聖書の世界』 | 96. |
47 | 神われらと共にいます | 『聖書の世界』 | 96 |
48 | キリストの死 | 『聖書の世界』 | 96. |
49 | パウロの回心 | 『聖書の世界』 | 96. |
50 | 生の変化と流転に処する道 | 『聖書の世界』 | 96. |
51 | 人格の復活 | 『聖書の世界』 | 96. |
52 | 教会の独善 | 『聖書の世界』 | 96. |
53 | 神は見えない存在 | 『聖書の世界』 | 96. |
54 | 愛の戒め | 『聖書の世界』 | 96. |
55 | 神の行為死 | 『聖書の世界』 | 96. |
56 | 解説(大柴 恒) | 『聖書の世界』 | 96. |
57 | 永遠の今の生活 | LOGOS No.21 | 91.4.4 |
58 | 聖書とは何であるか | LOGOS No.91 | 07.12.16 |
59 | 啓示の道 | ロゴス往来48 | 2003.11.2 |
60 | 『ろごす草紙』はじめに | 『ろごす草紙』 | 1992.11.15 |
61 | 心のやすらぎ | 『ろごす草紙』 | 1992 |
62 | 来たるべき方 (神谷八重 牧師) | 『ろごす草紙』 | 1992 |
63 | ほんとうの道 | 『ろごす草紙』 | 1992 |
64 | 忍耐と待望 | 『ろごす草紙』 | 1992 |
65 | 羊と狼 | 『ろごす草紙』 | 1992 |
66 | 破壊と創造 | 『ろごす草紙』 | 1992 |
67 | 道を掘る | 『ろごす草紙』 | 1992 |
68 | ころもがえの季節 | 『ろごす草紙』 | 1992 |
69 | 暗幕のうらに朝の光がー | 『ろごす草紙』 | 1992 |
70 | 捨てられた石に思う | 『ろごす草紙』 | 1992 |
71 | 私は人間 | 『ろごす草紙』 | 1992 |
72 | 女と男 | 『ろごす草紙』 | 1992 |
73 | 噴火山の女 | 月報LOGOS2 | 1993.2 |
74 | 人と言葉 | 月報LOGOS2 | 1993.2 |
75 | 予定説ー二重決定論的信仰の過ち | 月報LOGOS2 | 1993.12 |
76 | 人間はただ神の前においてのみ平等である | LOGOSNo.01 | 1989.4 |
77 | 神の真実が見えるとき | LOGOS No.11 | 1990.4.1 |
78 | 真理の独占 | LOGOSNo.37 | 1992.11 |
79 | キリストにある一日は千日にまさる | LOGOSNo.39 | 1993.1 |