来るべき方
神谷八重(ロゴス教会伝道師)
預言者イザヤによって語られたとおり、新約聖書においてイエスが世に現れたまう半年ほど前に、バプテスマのヨハネがユダヤの荒野で教えを宣べていましたが、彼は悪しき国守りのために獄中生活を強いられることになりました。
獄中でのヨハネは、「キリストの御業について伝え聞き」と、ありますように、自分では、すでになすべき仕事は、一応果たした思っておりました。中でも、ヨハネにとって最も満足すべき事は、主イエスを世に紹介し得たことであったのだと思います。自分の先駆者としての役目はこれで終ったという確信が、彼にどのような困難をも克服する力を与えてくれたでありましょう。それだけに、ヨハネは片時も忘れることなく、主イエスの動向に注目していたのです。
つまりヨハネにとっては、自分が全生涯を賭けてきた証に誤りがなかったかどうかという自分自身の信仰の確認が必要だったのです。
しかし、ヨハネは自分が獄中に捕われの身になった頃から、そのことに不安を感じるようになり、主キリストは何時まで経っても自分が思っているように行動してくださらない、と不満を抱きはじめるのです。
ある日、ヨハネは弟子たちから主のご様子を聞いて黙っていられなくなり、弟子をつかわして、(来るべき方)は、「あなたなのですか」と聞かせたのです。それに対してイエスは「行ってあなた方が見聞きしていることをヨハネに伝えなさい」と、答えられました。
いったいヨハネは、<この世の救い主とは、ただ性急に世界を征服して、神の王国を地上に立てられる方だ>とでも思っていたのでしょうか。本当の意味での救い主とは、ヨハネが考えていたように世界の権力者、征服者ではありません。身を卑しくして民衆の友となってひとり一人の魂を救い、病んでいる肉体を癒すことによって個人の救いから全人類の救いに導き給う方なのです。
ですからクリスマスの最大の課題は、私たちにこのヨハネのような思い違いをしてはいないか、ということを明確に問うている点にあります。主イエスはこの日、クリスマスに私たちのところにもお出でになるのです。主をお迎えするために、私たちはそれぞれが心の準備をしなければなりません。そうでなければ、私たちはいったいどのようにしてキリストの本当のお姿を見ることができるでしょうか。
獄中のヨハネのように、私たちは自分の心、という狭い範囲の中だけで、イエスが今年ほどのような形で自分のところへ来てくださるか、などという不安を感じてはならないのです。ヨハネよりも私たちの方が主イエスと密接に結びついているはずであります。
イエスの生誕から二千年を経た今日、しかも聖霊によるとりなしによって救われた人でさえ、クリスマスを迎えるたびに、心のどこかで「この人は本当に救い主なのか。神の子なのか」と、疑問を抱いてはいないでしょうか。もし、自分たちの信ずる救い主ということばの解釈を誤り、主の約束されたものだけでは満足出来ない、という不信感が私たちの間に起こるとすれば、「わたしにつまずかないものは幸いである」との主の答えは永遠に分からないのです。
クリスマスが巡って来るたびごとに何か新しいものを期待する人は失望しなければなりません。時代が変わったからクリスマスのメッセージも変わったものにあんる、と考える人はクリスマスの喜びを知ることはできないのです。イエスのお答えは、主として旧約のイザヤ書からのことばで綴られていました。したがって今日、イエスの日常的な言動として伝えられている事柄は、実はすでに預言者が語っている救い主到来のしるしが具現化されたものだと考えられます。
預言者のことばで証された救い主、それが聖書が私たちに告げているイエス・キリストであります。<来るべき方>ということばは、すべての人類にとって大きな慰めであったのです。聖書こそは人間の願いも救いもすべてを神のお考えから判断して示し、その上で、来るべき方が誰であるかを私たちに告げているのです。
ベツレヘムの馬小屋からカルバリーの丘の上の十字架にいたる主イエスのご生涯は、本当に謎のように理解し難く思われますが、そのどこに救い主としての力が証明されているのでありましょうか。それは、クリスマスの夜の飼い葉桶を見る時にいっそう強く感じられるのです。もし、そこに人間の側からの思惑が先に立ち、神のご計画を忘れてしまったのでは、主イエスも<来るべき方>ではなくなってしまいます。そのような過ちや不信仰に陥らない者だけが本当のクリスマスの恵みにあずかることが出来るのです。
「主のみ名によってはいる者は幸いである。われらは主の家からあなたをたたえます」
●神谷八重先生のプロフィール
生涯を主に捧げて生き貫いたと申しても過言ではないと思う。
1.裏日本の福井県に生まれ、志を立て人生の大半を東京で過ごされた。
2.婦人伝道師として、ロゴス教会の前身の牛込矢来町教会に、藤田牧師によって招かれたのがロゴスとの出会いであった。
3.当時、山本三和人先生は兵役にあった時である。矢来町教会が戦火にあい、すべて焼失し、昭和22年7月1日ロゴス英語学校の誕生と共に、教会も目白で再び伝道活動を始めた。
4.神谷先生も若い青年たちの中に入って母親的存在で若者の世話をし、伝道に励んだ。
5.この間、二松学舎大学の事務を担当し、教育界でも働いて来られた。
6.40年近くのロゴス教会で、月1回の証言をされ、特に山本三和人先生の奥様方と共に婦人部と教会の母として守り続けてきたことは大きな働きである。若い時代、先生に相談にのって頂き、またご馳走になった思い出を持つ人は、今も多くおられる。
7.既にこの地上に先生のお姿はありませんが、主の御手としてお働きになった足跡は決して消えることはないでしょう。
8.明治42年6月4日生 1993年(平成5年)4月13日召天 83歳
9.追悼式 1993年5月30日(日)於 八王子 ロゴス教会