真理の独占

(「LOGOSNo.37 」1992.11)

山本三和人

 

 人間はある特定の宗教を信じるようになると、得てして真理や愛を独占したがるものだ。自分だけが本当の神についての真理を認識していると思いたがる。従って自己批判より他者批判に熱中するようになる。その結果は人間の世界に不和と争いをもたらす。

 神がアダムとイブをエデンの園に住まわせて、どの木からでも心のままに取って食べてもよいが「善悪を知る木からは取って食べてはならない」と戒められたのは、神についての真理の独占を禁じる戒めと言ってよい。つまりそれを食べると、何が善であり何が悪であるかを自分だけが知っているという自信に導かれ、自己批判より他者批判に真剣になり、人間の世界に不和と争いの種を撒き散らすようになるから、そういう知識とその知識に基づく誤りと信だけは身につけてはならない、と言う戒めである。

 この戒めの正しさは、人類が、そしてキリスト教会が綴ってきた歴史をみればよく解る。病や貧しさ故に悩み苦しむ人々に、自分のすべてを捧げつくされたイエスをゴルゴダの丘に引き立てて、釘づけにして殺したのは誰か。真理を独占したユダヤ教の指導者とその影響を受けた人達であった。善良なキリスト者を厳しく審問して異端や魔女に宣告し、多くの人を薪火によって焼き殺したのは誰か。真理を独占した教会の指導者たちとその影響を受けた人達であった。また、600万人のもおよぶユダヤ人を瓦斯室に送り込んで、あたかも害虫で、駆除するように殺したのは誰か。やはり真理を独占したヒトラーであり、ゲシュタポたちであった。

 心の耳をすまして聞いていると、歴史の闇の底から、真理を独占した人達の手によって命を奪われた無数の人々の悲痛な叫びの声が聞こえてくるようだ。そして、加害者の中に、自分もいたのではないか、という反省を呼ぶ。

Were you there
When they crucified my Lord ?
Were you there
When they crucified my Lord ?
Oh! sometimes it causes me
To tremble, tremble.tremble.
Were you there
When they crucified my Lord ?

 この黒人霊歌は、彼らの自己反省の歌と思われるが、人々が主を十字架につけた時、その人々の中に自分もいたのではないかという反省がわたしを身震いさせる、と歌っているようだ。

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