仏教とキリスト教

山本三和人

 キリスト教を要約して言うならば神の立場、仏教は一口に言えば人間の立場であると言えます。すなわち、われわれの全領域に神の支配が打ち立てられたということを主張するのがキリスト教であり、反対に生存の全領域を人間が支配していこうとする一つの悟りの道が仏教であると言うことができます。ところが非常に皮肉なことに、人間を主たるテーマとする哲学である仏教が、究極の時点において人間を超えているのに、神の絶対主権と支配を主張するキリスト教が、どこまで行っても人間の匂いを残すということです。西洋の芸術の中のキリスト教文化が、人間的なものを超越しないで残しているのは、キリストの主権の告白においてこそ人間がいっそう人間らしくなるからではないでしょうか。キリスト教の福音の真髄は、自己を昇華するのではなく、むしろ世俗の領域の中に入り込み、政治、経済、文化など人間の現実の生活の中に、人間として生きていくということを明らかにすることではないかと考えます。変貌の山の出来事のように、あの静けさの中にキリストの姿が一段と神々しく見えるところで小屋をたて、神を瞑想し、神を語ろうとする生活は、むしろ仏教的であると思います。教会形成の上でも、形式的な事柄に深入りしすぎて、何とかして聖地をつくり出そうとする努力が、教会から人間を追い出すことにならなければよいと心配になるのです。

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