永遠と時間
山本三和人
人間とは三次元の世界の生き物です。人間の知恵で知ることのできることは、三次元の世界のことだけです。どんなに勉強した人でもその人の知りえることは、時間と空間の中だけのことです。時間と空間の制約を受けて生きる相対的な人間に、絶対者がわかるはずがありません。ところが、神と人間との間には、直接、自然の関係があると考える人がいます。わたしたちが神を父と呼びながら、必ずキリストの名によって祈るのは、私たちと神との間に直接、自然の関係がないことを私たちが認めているからです。神を父と呼びはしますが、私たちは被造物であって、神から生まれたものではありません。神の独り子イエス・キリストを信じることで、はじめてキリストの父である神を父と呼ぶことができるのです。神と人間を同格視する人は、永遠と時間を混同します。永遠を時間の和や積、すなわち延長ででもあるかのように錯覚しているのです。永遠はけっして時間の延長ではありません。永遠を時間と混同することは、絶対他者としての神を人間並みに格下げして認めることであるか、あるいはその逆に、この時間と空間の制約のもとにある相対的な人間を絶対化し、神格化して、自己主張することに他なりません。そして、そのようにして自分を神に祭り上げる人は誰の批判にも耳を傾けません。場合によっては耳を傾けないどころか、すべての批判者を弾圧したり、抹殺したりしてしまいます。