選ばれた者
山本三和人
「選ぶ」というと、学校がむづかしい試験を課して入学生を選ぶように、多くの中から少数を選ぶと考えられがちです。確かに聖書にもそのように書かれています。「滅びる者は多く、救われる者は少ない」というのが信者の常識となっています。しかし、この信者の常識から宗教的な偏見や差別の思想や取り扱いが生じます。私たちの選ばれた者としての自覚の中には、多くの人々が滅びに選ばれているのに、自分は救いに選ばれて
いるという考えが潜んでいるように思われます。選ばれた人の数が少なければ少ないほど、選びの有難さがより大きくなるという思いを、信者の人は感じているのではないかと思われる様な場面に出会うことさえあります。このような心境にある者が、偏見と差別に基づく思いや行為に陥ることは、自然の成り行きです。世との共存ではなく、世との戦いこそ、信者の努めであるという考えに到ることは
必至です。神は、人間を善人と悪人に分けて、善人には恵みを悪人には滅びを与えるようなことはなさいません。この偏りみることのないキリストにいます神の心を、誰よりも深く理解していたのはパウロでした。キリストという神の愛の贈り物は全人類のもとに贈り届けられたものであって、決して教会に集まる一握りの人々の独占すべきものではありません。全ての人が神の愛と恵みの対象に選ばれることで、救いと永遠の命に召されているのです。