平和的共存

山本三和人

 福音の中心はイエス・キリストであり、イエス・キリストは『受肉の言』です。そして「受肉」とは神が人間に連帯の責任をとらせるために、長く交わせれてきた神と人間の冷たい戦いを終わらせ、人間の姿をとって、人間の世界へ 来たり住み給うた秘儀を顕にする出来事です。聖書によりますと、「受肉者」の復活は、人間の世界にまで下り給うた方が「高くあげられて、諸般の名にまさる名を与えられ給うた」出来事です。ですから、復活によって明らかとなった事実は、イエス・キリストがただ教会の主であり給うだけでなく、実に世界の主であり給うということです。すなわち、キリストは教会が独占すべきお方でなく、世と共にくいただくべきお方でいうことあるとです。ですから、神の愛し給う世界の人々が、その中にあって悩み苦しんでいる政治や社会の問題に関心を寄せるということは、キリストの僕であるキリスト者にとっては、むしろ当然のことと言わねなりません。この世界のどこでどのようなことが起ころうと、また、そのために神の愛し給う世の人々がどのような悲惨な目に会おうと、心わずらわされることなく、ひとり静かに神との交わりの中にある魂の安らぎだけを持ち続けようとつとめることは、決して神の求め給うことではありません。私たちの信仰と私たちの愛の確かさは、私たちの周りの人に対する私たちの在り方について、問われているのです。

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